大相撲

高安大関までの出世街道

2017年6月2日

高安の大関昇進とともに、様々なエピソード、
家族、地元の盛り上がり、名店などが、これ
でもかこれでもかと連日テレビで紹介された。
かつて大関昇進でここまでニュースになった
ことがあっただろうか。高安フィーバーとも
いうべき現象がわきおこった。
090722十両・幕下以下 386十一十一日目
<幕下時代の高安(左)>

そんな高安は大関までどんな出世街道を歩ん
できたのだろうか。参考までに兄弟子稀勢の
里、入門時の師匠隆の里の現役時代と比較
してみよう。
高安1A
高安は序ノ口から33場所かかって新十両に
昇進した。5年半であるから特別スピード
出世というわけではない。むろん遅いわけ
でもない。師匠隆の里もにたような歩みで
ある。隆の里は幕下時代に糖尿病にかかって
苦労している。だが、稀勢の里はわずか12場
所、2年で十両に駆け上がっている。相撲
経験がない稀勢の里のスピード出世は、非凡
なものを感じさせる。

100926千秋楽十両 869
<H22年九月 幕下優勝で貴乃花親方に表彰される高安>

高安2A
新十両から入幕までは3場所で通過している。
このへんは高安、稀勢の里、隆の里は変わら
ない。ただし、優勝には縁がなかった。隆の
里は入幕後3度十両に落ちている。3度目の
とき、十両優勝している。

余談だが、鳴戸親方となった元隆の里は、
「弟子が下のクラスで優勝してもこんなに
うれしいんだ。幕で優勝したらどうなるのだ
ろう」と語っていた。稀勢の里・高安の幕下
優勝には遭遇している。稀勢の里の幕内最高
優勝の姿を目の当たりしたら、最高の喜びで
あったろうと想像する。
170122千秋楽パレード 059
<H29年一月 優勝稀勢の里の旗手を務める高安(左)>

高安3A

新入幕から大関までは3人の中で、高安が
一番早かった。要33場所である。それでも
5年半かかっている。だが、成績は5割1分
5厘(休場は負け扱い)と勝ったり負けたり
よりいくぶんいい程度である。逆にいえば
急速に力をつけた証ともいえる。稀勢の里と
隆の里は41場所、42場所と数字はにたような
歩みである。ただ、隆の里は入幕後3度十両
に落ち、7場所十両在位がある。入幕から
大関までの成績は稀勢の里がぬきに出ている。
170528千秋楽幕内 1603
<H29年五月 技能賞を受賞した高安>

さて、大関から横綱まで、稀勢の里は大関で
31場所、隆の里は大関9場所で横綱に駆け
上がっている。高安は大関何場所で横綱に
なるか。これからの高安の出世街道最終章を
見守りたい。

高安のニュース録画を改めてみまくって
います。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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