高安の大関昇進とともに、様々なエピソード、
家族、地元の盛り上がり、名店などが、これ
でもかこれでもかと連日テレビで紹介された。
かつて大関昇進でここまでニュースになった
ことがあっただろうか。高安フィーバーとも
いうべき現象がわきおこった。

<幕下時代の高安(左)>
そんな高安は大関までどんな出世街道を歩ん
できたのだろうか。参考までに兄弟子稀勢の
里、入門時の師匠隆の里の現役時代と比較
してみよう。

高安は序ノ口から33場所かかって新十両に
昇進した。5年半であるから特別スピード
出世というわけではない。むろん遅いわけ
でもない。師匠隆の里もにたような歩みで
ある。隆の里は幕下時代に糖尿病にかかって
苦労している。だが、稀勢の里はわずか12場
所、2年で十両に駆け上がっている。相撲
経験がない稀勢の里のスピード出世は、非凡
なものを感じさせる。

<H22年九月 幕下優勝で貴乃花親方に表彰される高安>

新十両から入幕までは3場所で通過している。
このへんは高安、稀勢の里、隆の里は変わら
ない。ただし、優勝には縁がなかった。隆の
里は入幕後3度十両に落ちている。3度目の
とき、十両優勝している。
余談だが、鳴戸親方となった元隆の里は、
「弟子が下のクラスで優勝してもこんなに
うれしいんだ。幕で優勝したらどうなるのだ
ろう」と語っていた。稀勢の里・高安の幕下
優勝には遭遇している。稀勢の里の幕内最高
優勝の姿を目の当たりしたら、最高の喜びで
あったろうと想像する。

<H29年一月 優勝稀勢の里の旗手を務める高安(左)>
新入幕から大関までは3人の中で、高安が
一番早かった。要33場所である。それでも
5年半かかっている。だが、成績は5割1分
5厘(休場は負け扱い)と勝ったり負けたり
よりいくぶんいい程度である。逆にいえば
急速に力をつけた証ともいえる。稀勢の里と
隆の里は41場所、42場所と数字はにたような
歩みである。ただ、隆の里は入幕後3度十両
に落ち、7場所十両在位がある。入幕から
大関までの成績は稀勢の里がぬきに出ている。

<H29年五月 技能賞を受賞した高安>
さて、大関から横綱まで、稀勢の里は大関で
31場所、隆の里は大関9場所で横綱に駆け
上がっている。高安は大関何場所で横綱に
なるか。これからの高安の出世街道最終章を
見守りたい。
高安のニュース録画を改めてみまくって
います。
興味深いテーマをこれからもお届けます。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑