
北の富士は燃える要素があるときは強い。
九重(元千代の山)部屋が出羽海から破門
独立した直後の場所で初優勝した。次に北の
富士を燃えさせたのは、新大関清国の初優勝
である。「清国一人に甘い汁は吸わせない」
と連続優勝して横綱に昇進した。大関4場所、
横綱2場所で初めて1年間72勝を突破する
74勝16敗をあげた。大関時代、横綱を目指した
ときから横綱1年で5場所連続72勝以上を
達成した。このときが北の富士の最高潮の
時期であった。

<腰でb相撲を取った玉の海>
玉の海は、玉乃島といった大関時代2度横綱
に昇進するチャンスがあった。しかし、その
当時の1年間の成績は、どの場所からどの
場所をとってもすべて60勝台の成績だった。
最高成績は69勝21敗であった。連続優勝した
北の富士と比べ甘い成績13勝優勝、10勝、
13勝優勝同点で同日横綱に昇進したのは過去
の2度の横綱昇進チャンがあったからだった。

玉の海の相撲が安定したのは、横綱4場所目
の横綱初優勝からであった。5場所目、連続
優勝して75勝15敗と初めて72勝以上の成績を
おさめた。腰で取る玉の海の相撲はますます
安定感を増し、80勝超えを2度達成している。
その中でも84勝6敗は大鵬と並ぶ当時の最高
記録であった。現役のまま亡くなる悲劇にさ
えあわなければ、玉の海はどこまで到達した
か、今でも惜しまれる。(玉の海の悲劇は
下記をクリックして参照)
懸念された通り横綱在位8場所の短命で終わ
った。そのなかでも、大関3場所横綱3場所
の1年間のとき、初めて72勝18敗をあげた。
翌場所も72勝をあげたが、この2回きりで
終わった。
年賀状の大相撲写真が決まりました。
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