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殊勲賞の中身1【昭和22年秋~24年秋】

戦後は食糧難で相撲どころではなかった。
昭和21年秋場所のメモリアルホールはお客の
入りが思わしくなく、協会は人気回復のために
マスコミにアイデアを求めた。そこで出てきた
のが、系統別総当たりの復活・優勝決定戦・
三賞制度だった。
三賞は昭和22年秋場所から実施されたが、
基準が明確でなかった。横綱・大関も受賞対象
であった。殊勲賞は優勝につぐ成績ということ
で第1回は新入幕の出羽錦が受賞した。横綱・
大関など優勝候補を倒した関脇以下の力士で
勝ち越しが条件となったのは2回目以降で
あった。
現在の殊勲賞は優勝力士を倒した者が優先
される。成績の悪い横綱・大関に勝っても
殊勲の対象にはなりにくい。そのため、殊勲
賞の該当者なしが増加傾向になっている。
以前はそこまで厳密でなかったと思う。そこで
殊勲賞の中身を調べることにした。それが
以下である
殊勲賞の中身A
第1回は新入幕の出羽錦が受賞したが、これ
は現在の基準なら敢闘賞である。それでは
殊勲賞は誰がふさわしいのか。候補は千代
ノ山と輝昇である。倒した横綱・大関の成績
からいうと優勝力士羽黒山を倒した千代ノ山
が優っている。ただ、なぜか前頭筆頭の千代
ノ山対横綱照國戦は対戦がなかった。小結
輝昇対千代ノ山戦もなかったことを付記して
おく。
出羽錦
<出羽錦のブロマイド>
 
翌場所の昭和23年夏場所、優勝東富士、次点
照國を倒している力道山が文句なしに受賞し
た。力道山にとって、これが最初で最後の
三賞になった。深夜の髷きりで引退したのは
昭和25年秋場所である。続く秋場所の増位山
も優勝同点の東富士に本割、優勝決定戦と
2度勝って初優勝して文句なしである。昭和
24年春場所は三根山が優勝力士東富士を
倒して、これも意義なしである。ここまでは
対抗がいなかった。
ブロマイド千代の山
<千代ノ山のブロマイド>
 
昭和24年夏場所は千代ノ山が受賞した。3横
綱1大関に勝って12勝3敗の好成績である。
しかし、照國の12勝3敗以外は横綱・大関が
不成績である。これに対し神風は優勝大関
増位山に勝っている。数か質かで当時は数を
取ったことになる。千代ノ山は翌場所大関に
昇進した。翌場所の昭和24年秋場所は、数
でも質でも満たした鏡里が12勝3敗で受賞
した。
同じ殊勲賞でも中身に差がある。今後様々な
ケースが出てくるが、順次紹介していきたい。

今朝は珍しく4時半に起きた。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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