大相撲

殊勲賞の中身1【昭和22年秋~24年秋】

2016年10月29日

戦後は食糧難で相撲どころではなかった。
昭和21年秋場所のメモリアルホールはお客の
入りが思わしくなく、協会は人気回復のために
マスコミにアイデアを求めた。そこで出てきた
のが、系統別総当たりの復活・優勝決定戦・
三賞制度だった。

三賞は昭和22年秋場所から実施されたが、
基準が明確でなかった。横綱・大関も受賞対象
であった。殊勲賞は優勝につぐ成績ということ
で第1回は新入幕の出羽錦が受賞した。横綱・
大関など優勝候補を倒した関脇以下の力士で
勝ち越しが条件となったのは2回目以降で
あった。

現在の殊勲賞は優勝力士を倒した者が優先
される。成績の悪い横綱・大関に勝っても
殊勲の対象にはなりにくい。そのため、殊勲
賞の該当者なしが増加傾向になっている。
以前はそこまで厳密でなかったと思う。そこで
殊勲賞の中身を調べることにした。それが
以下である
殊勲賞の中身A
第1回は新入幕の出羽錦が受賞したが、これ
は現在の基準なら敢闘賞である。それでは
殊勲賞は誰がふさわしいのか。候補は千代
ノ山と輝昇である。倒した横綱・大関の成績
からいうと優勝力士羽黒山を倒した千代ノ山
が優っている。ただ、なぜか前頭筆頭の千代
ノ山対横綱照國戦は対戦がなかった。小結
輝昇対千代ノ山戦もなかったことを付記して
おく。
出羽錦
<出羽錦のブロマイド>
 
翌場所の昭和23年夏場所、優勝東富士、次点
照國を倒している力道山が文句なしに受賞し
た。力道山にとって、これが最初で最後の
三賞になった。深夜の髷きりで引退したのは
昭和25年秋場所である。続く秋場所の増位山
も優勝同点の東富士に本割、優勝決定戦と
2度勝って初優勝して文句なしである。昭和
24年春場所は三根山が優勝力士東富士を
倒して、これも意義なしである。ここまでは
対抗がいなかった。
ブロマイド千代の山
<千代ノ山のブロマイド>
 
昭和24年夏場所は千代ノ山が受賞した。3横
綱1大関に勝って12勝3敗の好成績である。
しかし、照國の12勝3敗以外は横綱・大関が
不成績である。これに対し神風は優勝大関
増位山に勝っている。数か質かで当時は数を
取ったことになる。千代ノ山は翌場所大関に
昇進した。翌場所の昭和24年秋場所は、数
でも質でも満たした鏡里が12勝3敗で受賞
した。

同じ殊勲賞でも中身に差がある。今後様々な
ケースが出てくるが、順次紹介していきたい。

今朝は珍しく4時半に起きた。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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