大相撲

四股名のルーツ【○○富士】

2016年10月19日

大相撲独特のものに四股名がある。四股名
には様々な傾向がある。錦木は寛政、天保、
安政に見られる伝統ある四股名である。
ルーツは江戸にあった。どんな四股名にも
元祖はある。今回は○○富士の四股名の
ルーツを調べてみた。対象は幕内力士に
限定させていただいた。

現代は○○富士のオンパレードである。日馬
富士、照ノ富士、宝富士、誉富士などがいる。
それでは、○○富士の元祖は誰か。富士と
いえば、日本を代表する美しい山で、葛飾
北斎は富嶽三十六景を描いているほどである。
古くからあるかと思いがちだが、元祖は明治
43年夏場所入幕した近江富士である。近江
富士は大阪相撲出身だが、常陸山を慕って
門下に入った。常陸山が欧米漫遊のさいに
随行している。最高位は小結で、横綱梅ヶ谷を
足取りで倒したことがある。
ブロマイド東富士
<江戸っ子横綱東富士>
 
○○富士の四股名は近江富士以降約33年も出
なかった。第2号は昭和18年夏場所入幕した
東富士である。東富士は怒涛の寄りで横綱に
なったほどだから名前はご存知の方が多いだ
ろうが、○○富士の四股名第2号とは思わな
かったのでは。富士の四股名はまだまだ珍し
い時代だった。

東富士の後はなんと北の富士である。北の
富士の入幕は昭和39年一月場所である。
東富士から約28年半以上たっていた。北の
富士の名は横綱とともにメイン相撲解説者で
知られている。北の富士の相撲を見た世代も
いるはずである。ここまで○○富士は意外にも
まだまだ、ポピュラーになっていなかった。
北の富士2
<黄金の引き足もある北の富士 >
 
その後、各部屋の伝統の頭漢字に富士をつけ
て、広がりを見せてきた。それが以下である。
(   )は入幕時。
栃富士(昭和43年九月場所)
琴乃富士(昭和49年七月場所)
玉ノ富士(昭和49年九月場所)

また、一時期九重部屋から○○富士の四股名
が出た。(   )は入幕時。
千代の富士(昭和50年九月場所)
若の富士(昭和57年三月場所)
孝乃富士(昭和61年五月場所)
巴富士(平成3年一月場所)

各部屋の伝統の頭漢字に富士をつける傾向は
続いた。字は異なるが、栃乃藤を参考として
付け加えておく。(   )は入幕時。
旭富士(昭和58年三月場所)
琴富士(昭和63年九月場所)
春日富士(平成元年三月場所)
※栃乃藤(平成5年三月場所)
湊富士(平成5年七月場所)
140108奉納土俵入り 115
<安馬から日馬富士に改名>
現代は、伊勢ヶ濱全盛である。以下佐田の
富士以外は伊勢ヶ濱部屋所属である。
(   )は入幕時。日馬富士は改名時である。
日馬富士(※平成21年一月場所改名)
安壮富士(平成18年十一月場所)
宝富士(平成23年七月場所)
佐田の富士(平成23年十一月場所)
誉富士(平成25年五月場所)
照ノ富士(平成26年三月場所)

○○富士はそれほど昔から使用されていた
わけではなかった。停滞期もあった。ルーツ
は近江富士で、彼から○○富士の四股名の
第一歩が始まったのである。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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