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綱の重み2

横綱というと栄光に包まれた存在と思われ
がちであるが、それはごく一面である。大鵬
は「横綱は勝つことを任された存在」と言う。
師匠の元佐賀ノ花の二所ノ関は「ここで負け
れば、時代が変わるぞ」と大鵬を発奮させた。
大鵬はまた、「横綱は孤独な存在」とも言っ
ている。人間誰しも言えないことはあるが、
最高峰の対場になると、どんなに親しい仲
でも話せないことがある。横綱のつらさで
ある。
鵬
<王者大鵬>
 
柏戸は「野球選手は3割打てばいい。横綱は
10割を要求される」と苦しい横綱時代をふり
返る。佐田の山は成績が悪ければ、稽古で
土俵の砂にまみれた。やるだけやって、あと
は静かに天命を待った。横綱という地位に
応えるために苦悩はつきない。
北の富士の相撲ぶりを循環気質と表現した
のは、杉山桂四郎氏であった。燃える要素が
あるときは強さを発揮し、そうでないときは
平凡に終わることを意味した。
九重部屋が出羽海から破門独立したとき、
北の富士は元千代の山と行動をともにした。
その直後の場所、大関北の富士は初優勝
した。これによって大鵬は7連覇をストップ
された。次に北の富士が燃えたのが、新
大関清国の初優勝であった。「清国ひとり
に甘い汁をすわせない」と言って奮起した。
そして連続優勝を達成して、横綱昇進を
決定した。
北
<速攻北の富士>
 
その北の富士が不振に襲われたのが、昭和
47年の一月場所から七月場所だった。7勝7
敗1休、9勝6敗、3勝6敗6休。全休と進退
をかけるくらい追い込まれた。前年10月に
優勝を争い、切磋琢磨してきた玉の海の急死
が大きかった。好敵手を失い、気が抜けたよう
な空白状態であった。「もうひと花咲かせた
い、と思う反面引退の文字が頭に浮かんだ」
と言う。巨大な黒星が体を押さえ、汗びっしょり
になるほどの悪夢に襲われたことさえあった。
横綱になると黒星の重みがまるで違ってくる。
伝統・権威を維持していく裏には苦悩と綱の
重みが絶えず存在していた。

健康には腹八分ではなく七分がいいらしい。

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よしなに
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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