大相撲

ミスター横審舟橋聖一

2016年9月6日

横綱審議委員といわれて顔を思い浮かべる方
がいるだろうか。顔といってもfaceではなく、
相撲哲学・相撲理念のことである。横綱審議
委員はいまや稀勢の里の1場所優勝即横綱を
認めるかのごとく発言をしている。審判部も
同様である。稀勢の里が優勝したら理事会の
招集を御願いするとまで言っている。

七月場所の稀勢の里は横綱を目指す勢いと
無敵ぶりからは遠かった。下位にもろく負け、
日馬富士・白鵬に圧倒され、よく12勝にまと
めたものだ、という内容であった。それにして
もかつて横綱審議委員及び横綱審議委員長
を務めた舟橋聖一氏がおられたらどのような
見解を出していただろうか。

舟橋聖一氏は作家である。主な作品に雪夫人
絵図、花の生涯などがある。昭和25年の横綱
審議委員回誕生におけるメンバーである。昭和
44年から委員長を務めている。横綱昇進の
内規ができたのは昭和33年1月6日である。
舟橋
<舟橋氏の記事>
 
一、横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群
であること。
二、今後の横綱推薦に対しては、横綱審議委
員会が、大関で二場所連続優勝した力士を横
綱に推薦することを原則とする。
三、第二項に準ずる成績をあげた力士を推薦
する場合は、全委員の一致の決議を必要とす
る。

よく言われる「2場所連続優勝、またはそれ
に準じる成績」は、第一項にふれず、第ニ項
と第三項を一緒にしたものである。なお、第
三項は朝潮の横綱昇進後、全委員の一致の
決議が三分の二に変更された。

昭和33年一月場所後、11勝4敗、12勝3敗、
13勝2敗優勝(2回目)の初代若乃花の横綱
昇進をめぐって委員会は紛糾した。3委員は
賛成、4委員は時期尚早だった。協会は相撲
ファンの後押しや大関時代の勝率がいいこと
から人気の若乃花を横綱に推したかった。委
員のなかにも興行側がそうまでいうならと傾
いた方もいた。

しかし、舟橋氏はがんとして首を縦にふら
なかった。「われわれが決めた原則は、二場
所連続優勝だと考えている。いま、若乃花を
横綱にするなら、自ら原則を破るようなもの
だ。いかなる理由があっても、原則は原則。
事の次第によっては、審議会の権威にかか
わる問題じゃないか」激論は4時間におよび、
最終的には酒井委員長に一任という形をとり、
横綱若乃花が誕生した。

舟橋氏は横綱のご意見番だった。北の富士、
玉の海が同日横綱に昇進したとき、武蔵川
理事長(元出羽ノ花)に無気力相撲に関して
一言物申している。「輪島は甘やかされてい
る。これから苦労するだろう」「横綱とゴルフ
スタイルはイメージがあわない」。横綱昇進
祝いでも型通りの挨拶はしない。技術論、
稽古論、記録論と専門的な指摘まであった。

舟橋聖一氏は昭和51年1月に急性心不全で
亡くなられた。舟橋氏こそ遠慮のない正論を
吐くミスター横審であった。

残暑が厳しい。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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