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驚愕の優勝

協会設定の優勝制度ができて今年で約90年半
経った。大正15年にスタートして、442場所が
経過した(中止になった平成23年三月場所を
含まない)。優勝は横綱275場所(62.2%)、
大関109場所(24.7%)、関脇25場所(5.7%)、
小結8場所(1.8%)、平幕24場所(5.4%)で
ある。実は、前記の地位以外にもう一人優勝
者がいる。これがわかればあなたは相撲通
である。それは昭和8年春場所、別席で優勝
した男女ノ川である。
これだけの歴史をもつ優勝には驚かされる
優勝がいくつかある。まず、平幕優勝の佐田
の山である。佐田の山が入幕3場所目で迎え
た昭和35年五月場所である。この場所、横綱
朝潮は途中休場、若乃花・柏戸は10勝、大鵬
も14日目に4敗をきっして後退していた。当時
は幕内中位以下で勝ちこんだら、横綱・大関
との対戦が組まれることはなかった時代で
ある。下から3番目であった佐田の山は横綱・
大関陣の総崩れの間隙をついて12勝3敗で
優勝してしまった。
佐田 の山
<佐田の山>」
 
ところが、思いもよらぬ相手に負けていたの
だ。4日目十両筆頭の清ノ森である。清ノ森
はこの場所12勝3敗で十両優勝した。その
ため、幕内優勝者は十両優勝者より弱いと
いわれることになった。後にも先にもこの
ような事例はない。幕内優勝者唯一の十両
力士に負けての優勝となった。
昭和47年は波乱の幕開けとなった。一月場所、
一人横綱の北の富士は大乱調。大関は4人
いたが、元々弱くあてにならない存在だった。
賜杯の行方は予想もつかない状況に陥った。
そして優勝ラインが下がりに下がって11勝と
15日制では史上最低のラインとなった。優勝
者は平幕の栃東だが、あわや10勝5敗の優勝
もありえる展開だった。
11勝は優勝ではない、単なる1位だという批
評が出てきた。11勝の優勝は平成8年十一月
場所にも再びおきた。このときは横綱曙、大
関若乃花・武蔵丸・貴ノ浪、関脇魁皇と5人
による優勝決定戦の末、武蔵丸が優勝した。
11勝優勝は過去2度あった。
平成4横綱
<武蔵丸>
 
休場力士が優勝。長い歴史にはまさかの優勝
がある。昭和48年十一月場所、輪島は横綱
3場所目を迎えていた。先場所全勝優勝して、
引き続き連勝街道を突っ走って26連勝。12日
目大関貴ノ花と対戦した。この一番輪島が
勝利して12勝をあげた。しかし、突き合いの
中で指の間を裂傷してしまった。
翌日の北の富士戦は無理して出場したが、
力なく敗れた。この時点で4敗の琴桜が最高
成績のため、輪島は休場し、12勝1敗1不戦
敗1休で優勝となった。なお、表彰式には出
てきて直接賜杯を受けている。
輪 島
<輪島>
 
似たような状況は平成元年三月場所でおきた。
初日から横綱千代の富士は快調にとばして
13勝。14日目横綱大乃国と激闘の末勝利した
が、脱臼をしてしまった。見ていて痛々しさが
伝わってきた。千代の富士は千秋楽を休場し、
不戦敗となった。休場しての優勝はこの2例
あった。
今後どんな優勝がおきるか。どちらかという
とそうした優勝は御免こうむりたい。

明日は専門誌発行の日。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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