大相撲

驚愕の優勝

2016年8月31日

協会設定の優勝制度ができて今年で約90年半
経った。大正15年にスタートして、442場所が
経過した(中止になった平成23年三月場所を
含まない)。優勝は横綱275場所(62.2%)、
大関109場所(24.7%)、関脇25場所(5.7%)、
小結8場所(1.8%)、平幕24場所(5.4%)で
ある。実は、前記の地位以外にもう一人優勝
者がいる。これがわかればあなたは相撲通
である。それは昭和8年春場所、別席で優勝
した男女ノ川である。

これだけの歴史をもつ優勝には驚かされる
優勝がいくつかある。まず、平幕優勝の佐田
の山である。佐田の山が入幕3場所目で迎え
た昭和35年五月場所である。この場所、横綱
朝潮は途中休場、若乃花・柏戸は10勝、大鵬
も14日目に4敗をきっして後退していた。当時
は幕内中位以下で勝ちこんだら、横綱・大関
との対戦が組まれることはなかった時代で
ある。下から3番目であった佐田の山は横綱・
大関陣の総崩れの間隙をついて12勝3敗で
優勝してしまった。
佐田 の山
<佐田の山>」
 
ところが、思いもよらぬ相手に負けていたの
だ。4日目十両筆頭の清ノ森である。清ノ森
はこの場所12勝3敗で十両優勝した。その
ため、幕内優勝者は十両優勝者より弱いと
いわれることになった。後にも先にもこの
ような事例はない。幕内優勝者唯一の十両
力士に負けての優勝となった。

昭和47年は波乱の幕開けとなった。一月場所、
一人横綱の北の富士は大乱調。大関は4人
いたが、元々弱くあてにならない存在だった。
賜杯の行方は予想もつかない状況に陥った。
そして優勝ラインが下がりに下がって11勝と
15日制では史上最低のラインとなった。優勝
者は平幕の栃東だが、あわや10勝5敗の優勝
もありえる展開だった。

11勝は優勝ではない、単なる1位だという批
評が出てきた。11勝の優勝は平成8年十一月
場所にも再びおきた。このときは横綱曙、大
関若乃花・武蔵丸・貴ノ浪、関脇魁皇と5人
による優勝決定戦の末、武蔵丸が優勝した。
11勝優勝は過去2度あった。
平成4横綱
<武蔵丸>
 
休場力士が優勝。長い歴史にはまさかの優勝
がある。昭和48年十一月場所、輪島は横綱
3場所目を迎えていた。先場所全勝優勝して、
引き続き連勝街道を突っ走って26連勝。12日
目大関貴ノ花と対戦した。この一番輪島が
勝利して12勝をあげた。しかし、突き合いの
中で指の間を裂傷してしまった。

翌日の北の富士戦は無理して出場したが、
力なく敗れた。この時点で4敗の琴桜が最高
成績のため、輪島は休場し、12勝1敗1不戦
敗1休で優勝となった。なお、表彰式には出
てきて直接賜杯を受けている。
輪 島
<輪島>
 
似たような状況は平成元年三月場所でおきた。
初日から横綱千代の富士は快調にとばして
13勝。14日目横綱大乃国と激闘の末勝利した
が、脱臼をしてしまった。見ていて痛々しさが
伝わってきた。千代の富士は千秋楽を休場し、
不戦敗となった。休場しての優勝はこの2例
あった。

今後どんな優勝がおきるか。どちらかという
とそうした優勝は御免こうむりたい。

明日は専門誌発行の日。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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