大相撲

消え行く一代年寄

2015年12月1日

一代年寄は昭和44年五月場所、大鵬30回目の優勝の偉業
をたたえて、協会から贈られた。九月場所の初日、武蔵
川理事長(元出羽ノ花)以下協会幹部が土俵に上がり、
紋服姿の大鵬を表彰した。大変壮観であった。一代年寄
を贈られたことで、大鵬は将来大鵬部屋をおこし、ニ所
ノ関部屋から独立することが規定路線になっていた。そ
のため、現役のときから弟子を集め、内弟子にしていた。
大鵬10−1
<大鵬>
 
一代年寄はその後、北の湖が2人目となった。北の湖は
「名誉なこと」として受け入れた。北の湖は部屋の出世
頭ではあったが、所属していた三保ヶ関(元増位山)部
屋は息子の増位山が継ぐことが決定的であった。そのた
め、北の湖の独立は必至であった。
130915初日別カメ挨拶 007
<北の湖>
 
3人目の一代年寄は千代の富士になる予定だった。だが、
九重部屋を継ぐため、辞退した。千代の富士が一代年寄
を受諾していれば、引退後一人助かったのに、とぼやく
声があったとか。3人目は貴乃花である。一代年寄は20
回以上の優勝が目安という見方がされていた。父の二子
山部屋の看板が貴乃花部屋に変わった。

本来なら朝青龍、白鵬も一代年寄の資格者であるが、日
本国籍でないため、年寄の資格さえない。ところで、年
寄が日本国籍を有する者という一文がいつできかという
と、昭和51年9月である。当時は外国籍の関取は高見山
しかいない。しかし、高見山を狙い打ちにしたものでは
ない。一言で言えば柔道の二の舞を避けたかったのだ。
今や国際化した柔道は、日本柔道とはかけ離れたJUDOに
なってしまった。ただ、年寄資格が今の規定のままでい
いのかは、議論の余地は必要ではないだろうか。

大鵬が定年になったとき一代年寄が1つ消えた。そして
十一月場所13日目終了後北の湖理事長が亡くなられたこ
とで一代年寄が消滅した。大鵬部屋は大嶽部屋(元貴闘
力→元大竜)に変わった。北の湖部屋は山響(元巌雄)
に引き継がれる。いまや一代年寄は貴乃花だけという寂
しい状況になってしまった。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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