以前、相撲史を真っ二つにするとどこで分けるかという
テーマで書いたとき、明治42年6月に開設した両国国技
館とした。雨に左右されない常設館はそれほど画期的で
大相撲に変化をもたらした。ところが、その両国国技館
が使用できなくなる時代がくるとは、戦争はまさに大相
撲さえ変えてしまったのである。
昭和20年8月15日終戦。東京大空襲で東京は焼け野原、
国技館も被害甚大だった。応急修復に取り組んだものの、
屋根と窓ガラスまでいき届かず、秋場所は晴天10日間興
行となった。翌年の昭和21年には国技館は進駐軍に接収
され、メモリアルホールになった。協会は再三借用を申
し入れ、なんとか場所開催に至った。これが、両国国技
館が最後に使われた場所になった。
その後明治神宮外苑→大阪福島公園仮設国技館→浜町仮
設国技館→大阪福島公園仮設国技館と変遷してきた。浜
町の仮設国技館は都の所有地のため取り壊された。そこ
で戦前から購入し、倉庫会社に貸し出していた蔵前の土
地に仮設国技館を建てることにした。海軍の飛行機組み
立て工場で解体した払い下でげの鉄骨の骨組みと屋根と
囲いはトタンぶきで突貫工事で間に合わせた。
昭和25年春場所から蔵前仮設国技館は使用されるように
なった。仮設の文字がなくなったのは、昭和29年の秋場
所からであった。ここから30年にわたって蔵前国技館は
大相撲の常設館として栃若、柏鵬、北玉、輪湖など様々