大相撲

昭和・平成の10大ニュース1 東西合併

2015年11月17日

現在でこそ職業相撲の団体は1つだが、江戸時代、力士
集団は地域ごとにあった。主に江戸、大坂、京都が中心
であった。明治には東京・大坂・京都で合同興行をおこ
なったり、力士の移籍もあった。初代梅ヶ谷は大阪から
来た力士である。大正時代、京都は人数が少なく、大阪
と合同で興行していた。

明治の末から東京と大阪の相撲協会の合併への動きはあ
った。しかし、話が折り合わず、交渉は決裂していた。
大正時代、大阪は養老金(退職金)問題で力士が激減し、
東京は関東大震災で部屋・住居・興行場を失って、弱っ
ていてもまとまらなかった。

合併へと動き出すきっかけとなったのは、1つは東京の
財団法人認可への動きである。もう1つは昭和天皇(当
時摂政官)の御下賜金から天皇賜杯(当時摂政官賜杯)
を制作し、優勝力士に授与することにしたことである。
この光栄を大阪にもと呼びかけたのである。

大正14年、合併の調印が大阪でおこなわれた。合併の準
備段階として両協会は独立した大日本相撲連盟をつくっ
た。そこで連盟相撲を3回にわたって行い、新しい番付
をつくった。大阪相撲の劣勢は明らかだった。大正15年、
両協会は解散し、新たに大日本相撲協会を設立した。昭
和2年の(昭和元年は7日しかない)幕内の新番付では、
大阪方はわずか6人しかいなかった。大阪横綱の宮城山
の実力は小結程度といわれた。
宮城山
<宮城山のブロマイド>

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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