大相撲

双葉山の土俵態度

2015年3月4日

白鵬が力士会で犬じゃないんだからほえるなという趣旨の
発言をした。対象である琴勇輝は戸惑を隠せないようで
ある。ほかにも発声する力士に千代鳳がいる。実はちば
てつや作のたり松太郎という漫画に、土俵の上で声を
だしちゃいけないの、という意味のセリフが出てきて
いたので長い間そういうものだと思い込んでいた。
150117七日目幕内 439
<琴勇輝対千代鳳 2015年一月場所>
 
ここで相撲規則を見直してみた。項目的には「力士」、
「力士(競技者)規定」を見てみたがそれらしい内容は
なかった。念のため勝負規定も見たがそれらしいことは
書かれていなかった。もっとも相撲規則に書いてあったら
とっくの昔に注意を受けていただろう。

しかし、勝ってもガッツポーズは慎むという教えがある。
勝っておごらず、負けてくさらずという精神からきている。
ルールにないとはいえ、これは力士つまり力のさむらい
のありようを端的に表わしている。ルールとは別に教え
としてとらえるべきものである。

土俵態度のりっぱさといえば双葉山を抜きに語れない。
双葉山の時代は仕切り直しのたびに力水をつけていた。
しかし、双葉山は最初の1回しかつけなかった。それは
入門して初土俵をふんだころ地方巡業で老人にこう教え
られたという。土俵は戦場であり、力士は軍人である。
戦場に向かうからには水さかずきをして門出をする
のだ、と。しかし、双葉山自身はこう語っている。
双葉山ブロマイド12
<双葉山のブロマイド>
 
「力水は末期の水だという意味は昔から伝えられている
ところです。しかし、末期の水という観念にとらわれる
のもつまらぬことだと思います。そんなことにこだわる
必要はすこしもないのです。力水をつけることによって
気分がととのえられ、それでよりよい相撲が取れるという
のであれば、二度でも三度でも水をつけたらいいのです。
わたしの場合は、右(筆者注:この場合上)のような
意味からでなく、いったん土俵にのぼったら、余分な
動作はすまいという動機から出たことです。土俵にのぼっ
た以上はもう勝負は始まっています。むだな動作をする
余地はないのです」(がちんこ相撲 小坂秀二著 いん
なあ とりっぷ社刊より)

すべては求道者双葉山の言葉に言いつくされている。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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