九月場所新入幕の逸ノ城は大関稀勢の里、大関豪栄道、
横綱鶴竜に勝利して相撲ファンを驚かせた。そして最後の
最後まで優勝争いをして場所を盛り上げ、いちやく話題の
人になった。新入幕力士の横綱からの勝ち星は1973(昭和
48)年九月場所の大錦以来のできごとである。
四股名を与えられたのは十両2場所のことである。大錦と
いう四股名は出羽海部屋の大正時代の横綱の四股名という
重い名である。その四股名を与えられたのは相当大物と
見られていたことになる。新十両11勝4敗で優勝、十両
2場所目で10勝5敗で新入幕を決めた。
新入幕、前頭11枚目の大錦は9勝3敗で終盤3日間を
横綱・大関と対戦した。まず、大関貴ノ花を倒し、14日目
横綱琴桜と対戦した。琴桜のほうが意識したか自分の相撲を
取れず敗れさった。千秋楽は大関清国に敗れたが、この
大活躍に殊勲・敢闘・技能の三賞を独占受賞した。当時
北の湖はまだ小結だったが、北の湖・大錦時代が来る
とまで言われた。
この大活躍で大錦は翌場所小結に抜擢された。しかし、
これはやりすぎではという声が多かった。前頭4枚目で
出場した横綱・大関全員と対戦している9勝6敗の高見山
が小結になるのが当然という見方が大多数だった。
大錦にとって三役はこの一場所だけだった。三賞も新入幕
のときだけしか受賞できなかった。結局大成せずに力士
人生を終えた。勝っている時は誰でも勢いがあり、大物
として相撲を取っているように錯覚する。逸ノ城もまさに
時の人として怪物ぶりが紹介されている。
人生を終えた。勝っている時は誰でも勢いがあり、大物
として相撲を取っているように錯覚する。逸ノ城もまさに
時の人として怪物ぶりが紹介されている。
ない。自分を戒め、九月場所で逸ノ城に敗れた力士の
リベンジに備え稽古する必要がある。
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