大相撲

逸ノ城への戒め

2014年10月1日

九月場所新入幕の逸ノ城は大関稀勢の里、大関豪栄道、
横綱鶴竜に勝利して相撲ファンを驚かせた。そして最後の
最後まで優勝争いをして場所を盛り上げ、いちやく話題の
人になった。新入幕力士の横綱からの勝ち星は1973(昭和
48)年九月場所の大錦以来のできごとである。
140914初日幕内 007
大錦は新十両まで尾堀の名で相撲を取っていた。大錦の
四股名を与えられたのは十両2場所のことである。大錦と
いう四股名は出羽海部屋の大正時代の横綱の四股名という
重い名である。その四股名を与えられたのは相当大物と
見られていたことになる。新十両11勝4敗で優勝、十両
2場所目で10勝5敗で新入幕を決めた。

新入幕、前頭11枚目の大錦は9勝3敗で終盤3日間を
横綱・大関と対戦した。まず、大関貴ノ花を倒し、14日目
横綱琴桜と対戦した。琴桜のほうが意識したか自分の相撲を
取れず敗れさった。千秋楽は大関清国に敗れたが、この
大活躍に殊勲・敢闘・技能の三賞を独占受賞した。当時
北の湖はまだ小結だったが、北の湖・大錦時代が来る
とまで言われた。

大錦
<大錦の記事>

この大活躍で大錦は翌場所小結に抜擢された。しかし、
これはやりすぎではという声が多かった。前頭4枚目で
出場した横綱・大関全員と対戦している9勝6敗の高見山
が小結になるのが当然という見方が大多数だった。

大錦にとって三役はこの一場所だけだった。三賞も新入幕
のときだけしか受賞できなかった。結局大成せずに力士
人生を終えた。勝っている時は誰でも勢いがあり、大物
として相撲を取っているように錯覚する。逸ノ城もまさに
時の人として怪物ぶりが紹介されている。
140923十日目南門 231
こんなときだからこそ逸ノ城は先人に学ばなければいけ
ない。自分を戒め、九月場所で逸ノ城に敗れた力士の
リベンジに備え稽古する必要がある。

 

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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