大相撲

■夏2日目 遠藤の変化

2014年5月13日

遠藤が松鳳山の突き押しにいいところがなく、一方的に
敗れた。遠藤はなかなか髪が伸びず、ずっとザンバラ髪で
あった。場所前はじめて髷を結い、初日は髷後1勝したが、
2日目は髷後1敗となった。遠藤はまだ馬力相撲に弱い。
琴奨菊戦は工夫が見たい。

遠藤にはもう一つの変化がある。それは四股名である。
学生出身で横綱になった輪島は本名のまま最後まで通
した。本人は「どこにでもある名前でないから」とまった
くその気がなかった。さて、遠藤の四股名はどうなるの
だろうか。部屋でよく使われる大翔○となるのだろうか。

実はここへ来て、「清水川」が浮上してきているという。
どこまでにつまった話か不明だが、いささかとまどいを
感じる。清水川は大正末期から昭和12年まで活躍した力士
でカマ首をもたげる仕切りは独特であった。波乱の土俵
人生(土俵の目撃者2014年1月3日参照)後に本領を
発揮して大関昇進、優勝3回を達成。昭和・平成で
唯一の名大関である。引退後追手風部屋をおこし、追風
山・二代目清水川らを育てた。定年で弟子は立浪部屋に
移ったが、清水川が最初に所属したのは清見潟部屋であり、
再入門した二十山部屋のルーツは高砂系である。

今遠藤は元大翔山の追手風部屋所属である。大翔山の
ルーツは小結緑島がおこした立浪部屋である。とまどいの
原因はルーツが異なるからである。遠藤は超新星にふさわ
しいフレッシュな四股名を期待する。
140512二日目幕内 620
 

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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