大相撲

2013年10大ニュース 7位から5位

2013年12月19日

7位 相撲部屋があいついで消滅

親方の定年による消滅が放駒部屋(元大関魁傑)、
と三保ヶ関部屋(元大関増位山)、親方の健康上の
理由による消滅が二所ノ関部屋(元関脇金剛)と
間垣部屋(元横綱2代目若乃花)である。
いずれも後継者がいないため、放駒部屋は芝田山部屋に、
三保ヶ関部屋は春日野部屋に吸収された。横綱・大関を
誕生させた名門二所ノ関部屋は弟子が引退、親方は
元関脇金剛が退職、そのほかの親方は松ヶ根部屋に
移籍した。間垣部屋は一門外で同郷の青森出身である
元横綱旭富士を頼って伊勢ヶ浜部屋に弟子・親方が
移籍した。
それにしても部屋の消滅は相撲界の衰退と見るべきか
あるいは多かった部屋の淘汰と見るべきか。判断が
分かれるところである。。
S氏が5位、T氏が6位、A氏が7位にあげている。
<写真 間垣部屋から伊勢ヶ浜部屋移籍後改名した
照ノ富士>

130929千秋楽十両 603照ノ富士

6位 エジプト出身の大砂嵐が9場所で入幕

明日のホープといえども実力者がそろう幕下で
足踏みをするが、大砂嵐は3場所で通過している。
主な若手力士の幕下在位場所数をみると碧山7場所、
豪栄道7場所、栃煌山4場所、勢にいたっては32場所
かかっている。大砂嵐の快進撃がみてとれる。なお、
大砂嵐以上の記録、8場所で入幕した学生相撲の
常幸龍は2場所で幕下を通過したことを付記しておく。、
大砂嵐はイスラム教徒のため、豚肉を食べては
いけない。1日5回のお祈りがある。ほかにラマダン
という日中断食時期が場所中にあったとき話題に
なった。
A氏が遠藤と一緒のくくりで4位、T氏が5位、
H氏が8位にあげている。

131113四日目十両 618大砂嵐

5位 元大関把瑠都ついに引退

五月場所7日目大関稀勢の里戦での負傷から休場続き
だった把瑠都が九月場所前ついに引退した。28歳
(引退時)という年齢から考えると若すぎる引退
だった。
大関昇進後の把瑠都は優勝争いをするわけではなく、
序盤で早々と優勝争いから脱落していくときがあった。
そうかと思えば正面から堂々と稀勢の里を寄り切ったり、
圧倒的パワーで琴奨菊を退けたていた。両者好調で
12勝をあげているときさえ撃破している。
把瑠都という力士をどう見たらいいのか。強い
把瑠都と弱い把瑠都が存在するというのとも違う。
把瑠都は不思議な力士であった。
T氏、M氏、H氏が4位にあげている。
<写真は2010年十一月場所把瑠都が阿覧に土俵の中で
きめたはりま投げ>

101115二日目幕内 1300把瑠都

(この項目続く)

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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