引き続き横綱の1ケタ勝利を検証していこう。
数字は場所数
横綱 横綱在位 7勝以下 8勝 9勝
1若乃花 25 5 0 0
朝潮 16 7 0 2
大鵬 58 12 0 1
柏戸 47 12 0 7
栃ノ海 17 8 3 1
佐田の山 19 4 0 1
初代若乃花は横綱昇進の日「弱ったなあ」を繰り返し口にしていた。
横綱は不成績なら引退しかない。多くの兄弟を養っていた若乃花は
まだ引退できなかった。横綱になった若乃花は今まで以上に稽古し、
責任を果たした。8勝・9勝は皆無である。最後の優勝から9場所
連続優勝なしがある。

朝潮は巨人伝説で、期待は大きかったが応えられなかった。新横綱
の場所から11場所連続優勝がなかった。横綱2場所目から3場所連
続全休がある。もっとも横綱優勝は1回であった。栃錦・若乃花と
互角に近い対戦成績であった。強い朝潮と弱い朝潮が同居していた。
大鵬は入幕したときから将来の横綱を感じさせた。順調に出世し、
優勝を重ねた。優勝から遠ざかったのは5場所連続が最高だった。
このあと45連勝(誤審でストップ)している。1度だけ9勝してい
る。これは海外巡業で拳銃を持ち帰ったことが発覚した場所だった。
隅田川に捨てたという。昭和40年五月場所のことである。柏戸も同
様であった。

柏戸は前みつを取って走る。ときには勢い余って土俵下でケガして
休場が多かった。「柏戸の体は瀬戸物か」と時津風(元双葉山)理
事長は嘆いた。連続優勝なしは12場所、11場所(2回)に及んだ。
9勝6敗は7回ある。柏戸は晩年引退したかったが、次の横綱が誕
生せずやむなく現役を続けた結果であった。
栃ノ海はワンチャンスで横綱に上がった。横綱2場所目で優勝した
がそれが最後の優勝になった。椎間板ヘルニアの再発と右上腕膜筋
肉断裂の影響があって、勝てない栃ノ海の苦闘が続いた。横綱在位
18場所中1ケタ勝利は12場所にもなった。横綱優勝なしは15場所連
続を記録した。28歳で引退した。
佐田の山は17場所と大関時代が長かったが、ようやく横綱に昇進し
た。13勝-13勝-13勝優勝であった。優勝した場所から部屋別総当
たり制が始まった。佐田の山は、対戦成績はともかく、大鵬とは熱
戦が多かった。横綱2場所目で優勝したが、その後14場所連続優勝
がなかった。2場所連続優勝した翌場所、驚くべきことに引退して
しまった。

(この項目続く)