きたる七月場所霧島が新大関として登場する。これ
は2022年三月場所の御嶽海以来である。つまり御嶽
海から霧島まで1年4カ月ほどの間があいたことに
なる。場所にすれば7場所あいたことになる。大関
誕生の間隔はどのようになっているのか。調査して
みることにした。
対象は2場所連続負け越しで大関降格が始まった昭
和以降とした。昭和最初の新大関は昭和最初の場所、
つまり昭和2年春場所(1月)に新大関として登場
した能代潟である。1場所あけて常陸岩が新大関で
デビューした。翌場所には小野川が新大関として登
場している。東西合併で大阪の年寄に小野川がある
ため、大関小野川は3場所目に豊國に改名している。
昭和2年、4場所で3人の大関が誕生している。
次の玉錦までは昭和3年、4年、昭和5年2場所を
経て生まれている。次は6場所間をあけて武蔵山が
大関になっている。昭和7年1月に春秋園事件がお
こり、力士が大量に脱退した。その中に武蔵山もい
た。だが、武蔵山は脱退力士団を抜け出して協会に
復帰している。1場所あけて昭和唯一の名大関、昭
和最強の大関といわれる清水川が大関になっている。
昭和2年から7年までは年4場所であった。最初は
東京場所と地方場所を別別に番付編成していたが、
同じ力士の地位が著しく異なるケースがでてきた。
そのため、昭和3年夏場所から東京場所と地方場所
を合算した成績で番付を編成するように変えた。昭
和8年から年2場所制になった。
そこで誕生した大関が男女ノ川であった。清水川か
ら4場所あけての大関であった。そこから2年、場
所にすれば4場所を経て双葉山が大関に昇進した。
このとき63連勝はすでに始まっていた。また盟友鏡
岩が同日大関になっている。
昭和戦前の大関はまだ続くことになる。
(この項目続く)