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大関誕生様々

現代は一人大関である。しかし、御嶽海が大関にな
ってから1年しかたっていない。大関の弱体化が一
人大関を生んだ。今こそ大関が求められる時代はない。
しかし、若隆景、豊昇龍、霧馬山、琴ノ若は決め手
に欠けている。

<貴景勝>

大関は2場所連続負け越しで降格する規定は東西合
併後昭和とともに始まった。昭和以降大関はどのよ
うに誕生したのか。調べてみた。

1年で3人大関が誕生したことが4回ある。最初は
戦前の昭和2年である。能代潟、常陸岩、豊國であ
る。2回目は昭和37年である。佐田の山が大関に昇
進した翌場所、栃ノ海と栃光が大関になっている。

<栃ノ海>

3回目は昭和58年である。若嶋津、朝潮、北天祐の
3大関である。4回目は平成12年で、武双山、雅山、
魁皇が大関になっている。約96年で4回である。

大関が3年以上誕生しなかったことが2回あった。
最初は豊山から北の富士までで3年半あいた。豊山
29歳、北の富士24歳だった。若三杉(2代目若乃花)
から増位山まで3年空いた。増位山が大関になった
とき、若乃花はすでに横綱だった。

<北の富士>

同日大関昇進は8回ある。全部あげられればあなた
は相撲通である。
双葉山 鏡岩
安藝ノ海 五ツ嶋
吉葉山 鏡里
松登 若ノ花
栃ノ海 栃光
輪島 貴ノ花
若三杉 魁傑(再大関昇進)
貴ノ浪 武蔵丸

<2代目若乃花>

なお、大関93人中43人が横綱に昇進している。かな
り粗製乱造気味である。貴景勝の一人大関はいつど
のようなカタチで解消されるのだろうか。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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