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大相撲!根本的疑問

★大鵬と柏戸、北の富士と玉の海はどちらが先に横綱
になったのですか。

よく同時横綱昇進という表現が使われるが、同時と
いうのは○時□分△秒まで一致することである。1
機関の決定ではありえない。正確には「同日横綱昇進」
が正確な表現である。東正大関で連続優勝した大鵬、
昇進直前優勝がない柏戸では、柏戸が先に決まる道理
がない。

<大鵬>

協会が言う先に引退したほうが先の代はまったく理論
的でないし、おかしい。同様に東正大関で連続優勝
した北の富士が玉乃島(玉の海)より先に決定したと
みるのが自然である。協会の言うことを鵜呑みにして
は、真実は見えなくなる。

<北の富士>

★A級横綱が発表されましたが、B級横綱は誰になり
ますか。

実質横綱が地位化した常陸山以降の東京横綱でA級
横綱を次のように選出した。
常陸山
太刀山
大錦
栃木山
常ノ花
玉錦
双葉山
栃錦
若乃花
大鵬
玉の海
北の湖
千代の富士
貴乃花
朝青龍
白鵬

1場所11.5勝は勝率0.7667に相当する。これを1つの
目安とした場合次の横綱がピックアップされる。それ
だけではなく、同時に横綱優勝率を併記した。

   横綱勝率横綱優勝率
羽黒山0.788  0.2
曙  0.7797  0.1667
梅ヶ谷0.773  0.083
北勝海0.767  0.206
準じるのが
輪島 0.766  0.255
武蔵丸0.763  0.259

<羽黒山のブロマイド>

梅ヶ谷は東西制の勝率で幕内最高成績率がよくないが、
時代の限界かもしれない。輪島、 武蔵丸の横綱勝率
は準じる成績だが、横綱優勝率がいいので加えること
にした。この6人をB級横綱とした。

★時津風は立浪の分家なのに最初から袂を分かち、
別々の一門につき進んだのはなぜですか。

立浪部屋は明治の末、元小結緑嶋がおこした部屋で
ある。一代で横綱双葉山・羽黒山、大関名寄岩、関脇
旭川などを育てた。立浪(元緑嶋)は双葉山に「ほう
びに娘をやろう。部屋も継がせる」ともちかけた。
だが、双葉山には心を決めた女性がいた。それだけ
ではなかった。立浪(元緑嶋)と双葉山は様々な点で
意見が折り合わなくなっていった。その結果、双葉山
は現役のまま昭和16年、双葉山相撲道場として独立
した。

<双葉山のブロマイド>

独立しても立浪一門の枠内ではやがて弟弟子の元羽黒
山を盛り立てることになる。そこで、双葉山相撲道場
及び引退後の時津風部屋は、部屋の併合で勢力拡大に
向かっていった。といっても破門ではないので、系統
別総当たり制では、立浪部屋と時津風部屋の力士の
対戦はなかった。鏡里と若羽黒の対戦はなかった。
現在、立浪一門は存在しない。元旭豊の立浪が理事選
で貴乃花を支持したことが消滅のきっかけとなった。

★昭和35年の大相撲専門誌に次の文がありました。
「理事、監事は評議員の投票によって選ばれ……」
評議員とは何のことですか。

現在の評議員は理事の任命、解任をする権限を持つ方
である。海老沢評議員会議長をはじめ7人で構成され
ている。そのうち3人は元鷲羽山をはじめ元年寄で
ある。専門誌で表記されている評議員は年寄+力士
4人以内+行司2人以内を意味している。彼らの投票
によって理事、監事(今の副理事)が選出された。

<武蔵川(元出羽ノ花)>

取締は理事の互選によって選ばれた。当時、取締は
元双葉山の時津風理事長、元羽黒山の立浪取締、元
前田山の高砂取締、元出羽ノ花の武蔵川取締であっ
た。取締は昭和43年の機構改革でなくなった。また、
平成26年1月30日公益財団法人になったとき、力士・
行司の投票はなくなった。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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