貴景勝は上位初挑戦の宇良と対戦した。貴景
勝は曲者相手のせいかよくみて押すが、宇良
まわり込んで突き合い。宇良右前褌から両
まわし取って頭をつける絶好の体勢をつくる。
宇良ひきつけて前に出る。しかし、貴景勝、
引きながら上からはたく。貴景勝重心を失っ
て崩れるも宇良も前にばったり。うちわは
貴景勝。物言いがついて協議が長引いたが、
取り直しとなった。
取り直しの一番は宇良が立ち合いに変化。
貴景勝大きく泳ぎ、そこを宇良が強烈に押し
倒した。取り直しは実力が上のほうが有利
という言葉は貴景勝には通用しないことが
判明した日となった。
正代は大栄翔と対戦した。相撲は大栄翔の
押しをまともに受けてそのまま一気に押し
出された。限りなく無策に近い相撲となった。
正代完敗の相撲となった。正代は先場所初日
にも大栄翔に完敗している。負けて覚える
相撲かなは正代にはないらしい。
照ノ富士は霧馬山を相手に得意の左上手を
引くと、一気に寄って出て土俵下までもって
いった。攻めの照ノ富士の迫力を見せつけ
られた一番であった。満点の相撲だった。
メディアのなかには照ノ富士が新横綱から
3連覇すると栃木山以来の快挙になるといっ
ているものがある。これは歴史的誤りである。
栃木山の時代には優勝制度はなかった。ある
のは時事新報社による幕内最高成績者の額を
国技館に掲げる制度であった。一新聞社の
制度にすぎなかった。対戦相手が休場すると
自分も「や」扱いになった。
賜杯ができ、優勝制度ができたのは大正15年
からである。優勝制度とともに不戦勝不戦敗
制度、取り直し制度が整備されていったので
ある。
雨の日ですが、行きも帰りのやんでいました。
興味深いテーマをこれからもお届けします