■平成初期 7回 のうち4回から
平成4年三月場所、一人横綱北勝海が3日目
から途中休場した。優勝争いは3つ巴となっ
た。千秋楽を迎え、大関小錦・霧島が2敗。
小結栃乃和歌が2敗であった。千秋楽小錦と
霧島が相星で対戦するので優勝ラインは13勝
2敗になるのは確実であった。栃乃和歌は
7勝7敗の水戸泉と対戦して敗退。小錦と
霧島の対戦は小錦が制して、3回目の優勝を
達成した。小錦は12勝-11勝-13勝優勝-
12勝-13勝優勝したが、横綱昇進はならなか
った。当時、外国人横綱はいらない、という
論文が雑誌に掲載されていた。小錦が横綱に
なれないのは人種差別という騒ぎになった。
平成4年五月場所前に北勝海は引退した。
まだ28歳であった。ここから平成5年一月
場所までの5場所が横綱不在となった。横綱
不在のテーマは以前執筆しているので、ここ
では触れない。
平成6年五月場所一人横綱曙が初日から10連
勝したが、12日目から休場した。優勝は大関
貴ノ花と大関武蔵丸の間で争われた。千秋楽
をむかえ、貴ノ花1敗、武蔵丸2敗で直接
対決となった。貴ノ花が武蔵丸を退けて5回
目の優勝を達成した。貴ノ花の直近の5場所
は12勝-7勝-14勝優勝-11勝-14勝優勝で
あった。
翌七月場所、一人横綱曙は全休した。大関
武蔵丸と大関若ノ花は初日から連戦連勝。
両力士のマッチレースとなった。ともに12連
勝して13日目に直接対戦した。パワー技巧を
制す。武蔵丸が勝ち、残り2日間も勝って
全勝で初優勝した。若ノ花は14勝しながら
次点で終わった。武蔵丸が横綱になるのは
この時点でから31場所後、若ノ花が横綱に
なるのはこの時点から25場所後であった。
翌九月場所、一人横綱曙は連続全休となった。
大関貴ノ花は快調に白星を重ね、全勝優勝
した。次点は13勝2敗の武双山であった。
貴ノ花は全勝優勝したことで直近の5場所は、
14勝優勝-11勝-14勝優勝-11勝-15戦全勝
優勝となった。だが、5場所中3場所優勝
しても横綱になれなかった。師匠の二子山
(元貴ノ花)は「りっぱな成績だと思うん
だがね」と残念がっていた。当時は2場所
連続優勝が絶対の時代であった。
■平成10年代 6回
平成11年三月場所、横綱曙全休、横綱若乃花・
貴乃花は途中休場した。この時点で貴乃花は
20回優勝、曙は9回優勝、若乃花は5回優勝
していた。同期3人組はここにきて差がつい
ていた。この場所は大関武蔵丸と大関貴ノ浪
の間で争われた。両力士2敗で千秋楽に激突
した。武蔵丸が勝って4回目の優勝を成し
遂げた。武蔵丸は翌場所も優勝して横綱に
昇進した。最高位横綱の大関在位場所数は
琴櫻と武蔵丸の32場所が最高である。もっ
とも琴櫻が32歳で横綱になったのに比べ、
武蔵丸は28歳だった。
(この項目続く)
東京は日曜から再び緊急事態宣言に突入。
興味深いテーマをこれからもお届けします。