貴景勝はカド番の場所を全休して関脇降格が
決定した。貴景勝は大関2場所在位で2場所
とも負け越したことになる。大関負け越し率
は100%になる。最初大関のカド番率を考え
ていた。大関2場所連続負け越しで降格は
東西合併以降である。つまり昭和2年からで
ある。3場所連続負け越し降格は、年6場所
制がスタートした昭和33年からである。2場
所連続に戻したのは昭和44年七月場所からで
ある。そのさい降格直後の関脇で10勝以上で
大関に復帰できる規定がつくられた。
これだけでもカド番の扱いが違う上、公傷
制度が導入されていた時期がある。大関の
適用第一号は朝潮である。最も適用を受けた
のが千代大海の4回である。公傷制度でカド
番がカド番でなくなってしまった。
また昭和2年から7年までは東西合併を受け
て、東京場所と地方場所を交互におこなう
年4場所制であった。昭和2年から3年3月
場所までは東京場所は東京場所だけで、地方
場所は地方場所だけで番付編成をおこなって
いた。しかし、これでは東京場所と地方場所
で番付の地位の差がありすぎるケースが出て
きた。そこで昭和3年夏場所から東京場所と
地方場所の合計した成績で番付編成をおこな
うようになった。そのため大関が1場所負け
越しただけではカド番にならないケースが
出てきた。
これではカド番が一定しない。そこで大関の
負け越し率にすることにした。公傷の場所、
及び場所中の引退は負け越し場所として扱っ
た。対象は昭和以降誕生した最高位が大関=
能代潟以降とした。また、現役である高安は
2019年五月場所まで、休場で負け越しが確定
した豪栄道、栃ノ心、貴景勝は同年七月場所
2019年五月場所まで、休場で負け越しが確定
した豪栄道、栃ノ心、貴景勝は同年七月場所
までとした。その結果が以下である。
の大関常陸岩はともに負け越し率50%となっ
た。つまり2場所に1回は負け越している
のだ。3人目豊國が負け越し率23.1%を記録
し、これが長い間最高記録であった。
ワーストでは五ッ嶋が在位わずか2場所で
2場所とも負け越して降格した。負け越し
率100%でこれ以上のワーストはありえなく
なった。現時点では貴景勝がワーストタイで
ある。
豊國の記録を更新した力士が北葉山である。
大関負け越率20%である。北葉山は大関在位
30場所で最長であった。負け越しは6回だが、
1回は全休で、残り5回は晩年8場所による
ものであった。
北葉山の記録を抜いたのが、清國の17.9%で
ある。である。昭和45年三月場所の千秋楽。
新横綱北の富士2敗、同じく新横綱玉の海
1敗、横綱大鵬1敗。清國は7勝7敗で大鵬
と対戦した。この一番大鵬が勝ち、北の富士
対玉の海戦は、北の富士が勝ったため、大鵬
の31回目の優勝が決まった。清國は大関最初
の負け越しとなった。清國のあと4回の負け
越しは晩年の7場所間に集中している。
(続く)
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