清國が大関に昇進した昭和44年7月から大関
降格が2場所連続負け越しに戻った。その際
降格は関脇とし、そこで10勝以上の成績を
あげたら大関に復帰できるという規定が新た
に生まれた。これが現在まで続いている。
また、昭和40年から系統別総当たり制から
部屋別総当たり制に変わっている。
降格が2場所連続負け越しに戻った。その際
降格は関脇とし、そこで10勝以上の成績を
あげたら大関に復帰できるという規定が新た
に生まれた。これが現在まで続いている。
また、昭和40年から系統別総当たり制から
部屋別総当たり制に変わっている。
の成績をあげることは、困難なことである
ことがわかる。前の山は9勝-12勝-13勝
優勝同点で大関に昇進した。横綱の期待も
あったが、大関になって様変わりしてしまっ
た。ついに10勝以上の成績をあげられず、
その地位を失った。
角界のプリンス貴ノ花は抜群の人気力士と
して期待が大きかった。だが、大関に昇進
したとたん躓いてしまった。9勝-8勝-
3敗12休とさんざんな成績であった。貴ノ花
は大関在位50場所の記録をもつが、3場所
連続30勝以上はわずか6回に過ぎなかった。
ライバル輪島とは大きな差がついてしまった。
魁傑は1度大関を落ちて、再びゼロからやり
直して大関に昇進した。いずれも短期間で
終わっている。魁傑はクリーンな大関で、
負け続けても「休場は試合放棄」と言って
休まなかった。負けがこむと休場する横綱・
大関が当たり前の中で、魁傑の言葉は新鮮味
をもって受け入れられた。
増位山はわずか7場所の大関在位で引退して
しまった。増位山の大関在位中の成績は芳し
くない。だが、これまで短期の大関在位は
あったが、今までは大関を落ちても相撲を
取り続けていた。増位山はあっさり引退して
しまったので、拍子抜けしまった。
小さな探し物をした1日でした。
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よしなに
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