大相撲

大関の3場所連続の成績 昭和40年代50年半ば迄

2019年2月12日

清國が大関に昇進した昭和44年7月から大関
降格が2場所連続負け越しに戻った。その際
降格は関脇とし、そこで10勝以上の成績を
あげたら大関に復帰できるという規定が新た
に生まれた。これが現在まで続いている。
また、昭和40年から系統別総当たり制から
部屋別総当たり制に変わっている。
大関S40、50半ばA
ここでも大関にとって、3場所連続30勝以上
の成績をあげることは、困難なことである
ことがわかる。前の山は9勝-12勝-13勝
優勝同点で大関に昇進した。横綱の期待も
あったが、大関になって様変わりしてしまっ
た。ついに10勝以上の成績をあげられず、
その地位を失った。
貴ノ花
<貴ノ花>

角界のプリンス貴ノ花は抜群の人気力士と
して期待が大きかった。だが、大関に昇進
したとたん躓いてしまった。9勝-8勝-
3敗12休とさんざんな成績であった。貴ノ花
は大関在位50場所の記録をもつが、3場所
連続30勝以上はわずか6回に過ぎなかった。
ライバル輪島とは大きな差がついてしまった。

魁傑は1度大関を落ちて、再びゼロからやり
直して大関に昇進した。いずれも短期間で
終わっている。魁傑はクリーンな大関で、
負け続けても「休場は試合放棄」と言って
休まなかった。負けがこむと休場する横綱・
大関が当たり前の中で、魁傑の言葉は新鮮味
をもって受け入れられた。
魁 傑
<魁傑>

増位山はわずか7場所の大関在位で引退して
しまった。増位山の大関在位中の成績は芳し
くない。だが、これまで短期の大関在位は
あったが、今までは大関を落ちても相撲を
取り続けていた。増位山はあっさり引退して
しまったので、拍子抜けしまった。

小さな探し物をした1日でした。
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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