11月場所は現在、福岡国際センターでおこな
われている。だが、昭和32年の最初の本場所
は、福岡スポーツセンターであった。興行は
福岡スポーツセンターの買い興行であった。
ギャランティーは4600万円。昭和30年の大卒
の初任給が約1万2900円の時代である。
この福岡スポーツセンターが力士を表彰した
ことがある。それは昭和45年十一月場所の
ことであった。横綱は玉の海、大鵬、北の
富士、大関は大麒麟、清国、琴桜、前乃山
という3横綱4大関の時代であった。新関脇
貴ノ花はしぶとさと足腰のよさで、大鵬・北の
富士とは分の戦いをする大熱戦。連日奮闘に
つぐ奮闘で館内をわかしていた。貴ノ花見た
さに福岡スポーツセンターは、連日大盛況と
なった。福岡スポーツセンターの村上社長も
連日の大入りにほくほくであった。
富士、大関は大麒麟、清国、琴桜、前乃山
という3横綱4大関の時代であった。新関脇
貴ノ花はしぶとさと足腰のよさで、大鵬・北の
富士とは分の戦いをする大熱戦。連日奮闘に
つぐ奮闘で館内をわかしていた。貴ノ花見た
さに福岡スポーツセンターは、連日大盛況と
なった。福岡スポーツセンターの村上社長も
連日の大入りにほくほくであった。
<貴ノ花を表紙にした相撲増刊号>
だが、貴ノ花は3横綱・4大関には勝てず、
関脇以下で福の花に敗れたため、8敗となっ
て負け越した。負け越した力士は三賞をもら
えない。相撲内容はいいのだが、星数が足り
なかった。これだけ場所を盛り上げたという
ことで、福岡スポーツセンターが貴ノ花を表
彰することにした。しかし、土俵の上で表彰
することはできない。そこで社長室で表彰
することにした。賞金は5万円である。たが、
することにした。賞金は5万円である。たが、
三賞が20万円であったことを思えば少なかっ
たのでは。
当時、貴ノ花は観客を熱狂させる相撲が取れ
る数少ない力士であった。そして本場所で
番外表彰を受けた力士でもあった。
番外表彰を受けた力士でもあった。
十一月場所のチケットは土日祝日は
ほぼない状況。
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よしなに
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