稀勢の里の横綱昇進をめぐる昇進基準は激
変している。七月場所千秋楽、稀勢の里が
12勝3敗で逆転優勝した場合、審判部は理
事会の召集をお願いするとの情報がテレビで
流れた。さすがにこれは無理筋だと思った方
が多いのではないか。
変している。七月場所千秋楽、稀勢の里が
12勝3敗で逆転優勝した場合、審判部は理
事会の召集をお願いするとの情報がテレビで
流れた。さすがにこれは無理筋だと思った方
が多いのではないか。
七月場所の稀勢の里は横綱を目指す者特有
の勢いや無敵ぶりが、見出せなかった。まして
横綱日馬富士・白鵬には圧倒されてしまった。
さらに付け加えるなら、物事は公平であるべき
なのに、なぜ稀勢の里にだけ甘いのか、という
疑問が出てきている。
の勢いや無敵ぶりが、見出せなかった。まして
横綱日馬富士・白鵬には圧倒されてしまった。
さらに付け加えるなら、物事は公平であるべき
なのに、なぜ稀勢の里にだけ甘いのか、という
疑問が出てきている。
<稀勢の里>
横綱の昇進基準は、簡略化して書くと「2場所
連続優勝、もしくはそれに準じる成績をあげた
者」という横綱審議委員会の内規がある。しか
し、厳密にはその前に「品格・力量が抜群で
あること」という一文があるのだ。広く知れ渡っ
ているのは最初のほうであり、横綱昇進の
判断基準となっている。
連続優勝、もしくはそれに準じる成績をあげた
者」という横綱審議委員会の内規がある。しか
し、厳密にはその前に「品格・力量が抜群で
あること」という一文があるのだ。広く知れ渡っ
ているのは最初のほうであり、横綱昇進の
判断基準となっている。
「2場所連続優勝、もしくはそれに準じる成績
をあげた者」はいつ誕生したのか。それは、
昭和33年1月6日である。横綱審議委員会誕
をあげた者」はいつ誕生したのか。それは、
昭和33年1月6日である。横綱審議委員会誕
生から約8年経過していた。この一文は現在
までなんら変わらない。しかし、常に疑問を
もたれて、あるいは注文がついていた経緯が
あった。
ぶっく横綱」(日本スポーツ出版社刊)>
昭和54年、ゴング10月号増刊「大相撲はんど
ぶっく横綱」(日本スポーツ出版社刊)に相撲
通27氏にきくと題して「2場所連続優勝、もし
くはそれに準じる成績をあげた者」について
どう思うかきいている。相撲通といってもメデ
ィア関連の方が多い。このころは4横綱で輪
島、北の湖、2代目若乃花、三重ノ海が活躍
していた時代であった。
通27氏にきくと題して「2場所連続優勝、もし
くはそれに準じる成績をあげた者」について
どう思うかきいている。相撲通といってもメデ
ィア関連の方が多い。このころは4横綱で輪
島、北の湖、2代目若乃花、三重ノ海が活躍
していた時代であった。
37年前のアンケート結果は
2場所連続優勝 賛成19名 疑問・注文0
準じる成績 賛成4名 疑問・注文15名
別の案6名 直接の回答なし2名
2場所連続優勝は簡単でないだけに賛成者が
多かった。それに準じる成績に対しては、以
下の疑問・注文が出た。
1.拡大解釈される(こじつけ)
2.見識・厳正さを示す
3.準優勝-直前場所は優勝が必要
4.4場所を検討し、1回は優勝
など
別の案では
1.3場所連続優勝
2.2場所だけを議論の対象とするのはおか
しい
3.星の内容を吟味
4.十分に論議をつくす
5.半年から1年同じ番付でようすをみる
37年前のアンケート結果は、現代にも一石を
投じているのではないだろうか。それは、物
足りない横綱、弱い横綱を相変わらず誕生さ
せていることからもいえる。かつての兄弟子
元若の里の西岩親方も「稀勢の里は、2場所
連続優勝で横綱になってほしい」と語ってい
る。
話題は大相撲からオリンピックへ。
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