昭和・平成の大関はどの程度の実績を残している
のか。まず、大関時代の成績を出してみた。対象は
大ノ里から鶴竜まで46人。取組編成、制度などが
違うので【対戦形式】を柱として《制度》をはさみ
大関を分類し、主な力士の成績を掲載した。
【東西制第1期】
両国国技館開設1909(明治42)年六月場所~
1931年(昭和6)年
●大ノ里、常陸岩、豊国
◆豊国 大関在位13場所 皆勤11場所
優勝争い4回 優勝2回 81勝44敗18休
勝率6割4部8厘 11日制1場所7.128勝
負け越し4回 備考 昇進時は小野川
【東西制第1期・系統別総当たり第1期】
両国国技館開設1909(明治42)年六月場所~
1931年(昭和6)年
1932(昭和7)年~1939(昭和14年)系統別
●能代潟、
【系統別総当たり制第1期】
1932(昭和7)年~1939(昭和14年)系統別
●清水川、鏡岩
◆清水川 大関在位12場所 皆勤12場所
優勝争い4回 優勝2回 87勝47敗
勝率6割4分9厘 11日制1場所7.139勝
負け越し3回 備考 11日制 最後の場所のみ13日制
【東西制弟2期】
1930(昭和15)年~1947(昭和22)年六月場所
●五ツ島
【東西制第2期~系統別総当たり第2期】
1930(昭和15)年~1947(昭和22)年六月場所
1947(昭和122)年十一月場所~1964(昭和39)年
●名寄岩、佐賀ノ花、汐ノ海
東西合併、春秋園事件、戦後の混乱期の中、大関は
10人。勝率は清水川がトップである。東西制で割り
引かれるが、豊国がこれに続いている。逆に五ツ島は
在位2場所、連続負け越しで関脇に陥落している。
鏡岩・名寄岩・汐ノ海も大関勝率は5割以下である。
何をもって優勝争いというか。千秋楽を前に優勝圏内か。
あるいは14日目か13日目か。ここでは便宜的に終盤まで
ということで3敗以内の成績とする。
優勝争いも大関合格は清水川、東西制でやはり割り
引かれるが豊国である。ちなみに豊国が対戦したのは
横綱常ノ花、大関大ノ里、大関常陸岩、三役玉錦が
主な力士である。対戦しなかったのは横綱宮城山、
同じ井筒部屋の横綱西ノ海、大関能代潟などである。
<写真は豊国の小野川時代の絵葉書>
(この項目続く)