本名の四股名は過去扱ってきた。今回は本名をもじった四股名を紹
介したい。対象は本名が比較的はっきりしている明治以降の幕内力
士とした。それでも明治は特に見つからなかった。

大正は山田川で始まった。本名は山田である。幕内在位1場所で終
わっている。次は大内山である。本名は大内である。戦後の昭和大
関である。やつでのような手の突っ張りで栃錦と死闘。最後栃錦が
窮余の首投げで決め、名勝負として語られている。
吉井山、福田山と続く。本名は吉井、福田である。福田山は大鵬に
2勝しているが、一番は誤審である。佐田の山は平幕優勝しながら
横綱にまで登りつめた。当時平幕優勝は大関になれない、というジ
ンクスがあった。本名は佐々田である。のち市川家に婿入りしてい
る。

戦後昭和は続く。白田山は71場所かかって入幕した。本名は白田で
ある。吉の谷は小兵ながら闘志の力士であった。本名は吉谷である。
幕内在位は7場所だった。
舛田山は関脇が最高位であった。本名は舛田である。引退後は千賀
ノ浦部屋をおこした。舛ノ山などを育てた。部屋は一門外の元隆三
杉に継がれ、現在常盤山部屋に改称している。舛の勝だったが、元
隆三杉に引き継がれると隆の勝に改名となった。