栃錦は年4場所制から6場所制にかけての横綱である。横綱在位28
場所中休場は4場所であった。休場が比較的少ない横綱であった。
連続休場は昭和33年でその時不戦敗を含め、20休場しただけである。
初代若乃花は横綱在位25場所で、休場は5場所であった。10回目の
最後の優勝の翌場所昭和35年十一月場所からの1年間で33休場があ
る。若乃花晩年の時期であった。9場所優勝がないまま引退した。
本来ならもう少し早く引退したかったところだった。そうできなか
ったのはニ子山部屋を興すために時間が必要だったためである。自
宅を取り壊して地鎮祭を行ったのは昭和36年8月であった。
朝潮は横綱2場所目から3場所連続全休している。昭和34年七月場
所からのことである。翌昭和35年五月場所までの1年間で不戦敗を
含め51休場した。巨人伝説で朝潮への期待は大きかったが、開花し
なかった。
大鵬は王者と言われたが、ある時期から不死鳥と呼ばれた。休場明
けの場所、優勝が多かった。7回ある。大鵬には5場所連続休場と
いうピンチがあった。昭和42年十一月場所からである。このとき不
戦敗を含め、60休場した。出場した昭和43年九月場所2日目から実
質48連勝+αを成し遂げた。
柏戸は前みつを取って走る相撲だった。時には勢い余って土俵下に
転落し、ケガで休場した。当時理事長だった時津風(元双葉山)は
「柏戸の体は瀬戸物か」と豪を煮やしていた。横綱8場所目の昭和
38年一月場所から4場所連続休場した。不戦敗を含め、55休場であ
った。この翌場所全勝優勝した。涙の復活優勝であった。
1年間すべて休場したことがあった。昭和39年五月場所からである。
不戦敗を含め69休場している。柏戸は横綱在位47場所中12場所休場
した。
(この項目続く)