照ノ富士は今年(2024年)不戦敗を含め52休場だった。休場率は58
%となった。昨年はもっとすごい。不戦敗を含め休場は72%に及ん
だ。休場率はなんと80%である。横綱は休場しても地位は落ちない
が、不成績なら引退しかない。そういう声が聞こえないのは一人横
綱のせいかもしれない。
これまでの横綱はどうだったのか。調査してみた。対象は横綱審議
委員会以降の千代の山とした。また1年間は必ずしも一月場所から
十一月場所とはしなかった。例えば五月場所から翌年の三月場所も
1年間である。
千代の山が横綱に昇進したとき、年3場所制であった。昭和28年に
不戦敗を含め33休場している。千代の山が横綱返上問題を起こした
年である。休場率は73%である。
昭和32年の年5場所制でも33休場している。翌昭和33年の年6場所
制では不戦敗を含め41休場している。休場率45%である。翌昭和34
年一月場所限りで引退した。
鏡里は横綱審議委員会を通さず、協会が独自で決めた横綱である。
鏡里は休場が少ない横綱だった。横綱在位21場所中休場したのは3
場所である。昭和32年の年5場所制で不戦敗を含め23休場した。翌
昭和33年一月場所、新聞記者に言質を取られ引退においこまれた。
吉葉山は大関で全勝優勝して横綱に昇進した。雪のなかの優勝パレ
ードでは、吉葉山の頬を伝わるのは涙か雪かといわれた。場所後吉
葉山は横綱になったが、2月に急性腎臓炎にかかり、新横綱の場所
を全休することになった。横綱になった途端の躓きになってしまっ
た。
それだけではすまなかった。横綱2場所目も休場した。年4場所制
の昭和29年、不戦敗を含め30休場となった。休場率は50%であった。
翌昭和30年も休場は続いた。不戦敗3を入れて34休場と自己ワース
ト記録となった。休場率は57%となった。吉葉山は横綱での優勝は
なかった。1場所だけの12勝が横綱最高成績だった。
(この項目続く)