中盤戦最後の日、特に優勝を争う者同士の対戦はなかった。1敗隆
の勝が2敗阿武剋に勝った一番を優勝争いとはいえない。両力士と
も大関戦ゼロであげた白星だからである。
かつて平幕優勝では幕内中位以下で勝ち進み、最後に小結・関脇と
対戦しての優勝があった。その力士が翌場所上位にあがっても勝て
る道理はなかった。なお、平幕優勝力士の翌場所の最低成績は若浪
と貴闘力の2勝13敗である。
それでは優勝の価値はないと、幕内中位以下で勝ち進んだ力士は横
綱・大関にあてることになった。昭和46年七月場所からのことであ
る。今後平幕優勝は出ないとされたが、実際はそんなことはなかっ
た。結構出ている。上記の貴闘力もその一人である。ただ、中途半
端な適用はあった。
ほかに平幕では驚異の新入幕優勝の尊富士が2敗を死守した。いま
だに110年ぶりの新入幕優勝と言っているが実際は違う。公式の優
勝制度は大正15年に始まった。それとともに不戦勝不戦敗制度、取
り直し制度がスタートした。
大関では2敗大の里が大栄翔に敗れた。攻めていったが、攻め切れ
なかった。大栄翔をふところに入れてしまった。これでは勝てない
し、敗戦は必至だった。3敗大の里は優勝から大きく後退した。
1敗豊昇隆は奇襲があるわけではない琴勝峰を退けた。同じく1敗
の琴櫻は危なげなく、翔猿を引き落とした。両大関が1敗で中盤戦
を終えた意義は大きい。あとは14日目をおえた時点で優勝圏内にい
るかどうかである。1敗隆の勝はいよいよ11日目大の里と激突する
ことになった。