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1場所2度以上休場した力士4

大正は1場所で2度休場した力士がのべ17人いる。あと2人を紹介
しよう。なお、大正15年から公式優勝制度が始まり、不戦勝不戦敗
制度、取り直し制度が始まった。

大正14年夏場所 前17紅葉川
ややややや●●●ややや
紅葉川はこの場所後引退した。幕内在位10場所、最高位小結であっ
た。新小結で大関對馬洋、横綱大錦を破った。

<紅葉川のブロマイド>

大正15年春場所 前16伊吹山
ややややや●ややややや
幕内在位4場所、最高位前頭11枚目だった。三河島事件では力士側
に加わらず、師匠に反旗を翻すことはなかった。

ここから昭和に入る。東西合併の本場所がスタートした。

昭和2年10月場所 前6朝光
や●○○●●●●ややや
幕内在位14場所、最高位前頭6枚目であった。大阪相撲の力士。大
関大ノ里に勝ったことがあった。

もう一人いる。十9荒浪
やややや●●○や○●や
新十両の場所だった。十両在位4場所、最高位十両5枚目だった。
なお、同音異字の荒波という別力士がいる。

昭和3年夏場所 十10立汐
十両在位4場所、最高位十両5枚目だった。昭和30年代に三段目で
終わった別人立汐がいた。

昭和3年10月場所 十両番付外清水川
○●○●やや○●○やや
昭和最強にして唯一の名大関である。派手な私生活の乱れから本場
所をさぼった結果、協会から破門処分を受けた。人を介して復帰を
はかったがままならなかった。復帰はすさまじい犠牲の上で実現し
たのである。父親が死をもって復帰を嘆願するという前代未聞の事
件がおきた。この異例のできごとに協会がようやく復帰認めたので
ある。

<清水川のブロマイド>

この成績は復帰最初の場所である。これを幕下付け出しとみる見解
がある。筆者もそれに従った時期があった。近世日本相撲史第1巻
によれば、十両番付外が正しいようだ。翌場所十両尻の番付となっ
ている。

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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