大相撲

三賞多数獲得者たち1

三賞が実施されたのは昭和22年秋場所であった。相
撲人気の低迷脱出に記者クラブと相撲協会が考案し
た。ファンにも力士にも好評であった。優勝はどう
しても限られた者、選ばれし者になってしまう。三
賞なら誰にでもチャンスがあるし、励みになった。

<三賞トロフィ>

三賞多数獲得者はいくつ受賞した者を対象とするの
か。7回獲得者ならと思って調査すると、三根山か
ら始まって26人もいた。これはいささか多すぎるの
で、8回以上を対象とすることにした。なお、7回
のなかに現役の大栄翔・正代・貴景勝が入っている。
今後の活躍次第では数字を伸ばせることになる。

■三賞獲得8回

琴ヶ濱 殊2・敢1・技5
内掛け名人で技能賞が多いが、技能賞該当者なしを
つくるきっかけも琴ヶ濱であった。問題は立ち合い
にあった。ずるいほどうまいため技能はいかがなも
のかとなった。幕内中位12勝3敗で1度きりの敢闘
賞を受賞している。殊勲賞は優勝力士に勝っての受
賞はなかった。横綱栃錦を2回倒し、横綱千代の山
に勝って2回受賞している。

<琴ヶ濱のブロマイド>

信夫山 殊1・敢1・技6
りゃんこの信夫といわれ、もろ差し名人であった。
相撲専門誌の若乃花の表紙を見て攻略法を見つけた
ほどである。鋭い出足からすぱっともろ差しになり
まわしを与えず寄り切った。信夫山は小野川(元金
華山)部屋所属である。その前身である陣幕(元青
葉山)部屋閉鎖のとき陣幕親方は出羽海部屋へ移籍
した。そのいきさつから小野川部屋の力士は出羽系
の力士との対戦はなかった。

<信夫山のブロマイド>

柏戸 殊2・敢2・技4
入幕から大関直前まで12場所しかない。そのなかで
三賞を8回獲得している。4場所連続三賞受賞して
いる。最初の殊勲賞は途中休場の朝潮を倒しただけ
で獲得している。2回目の殊勲賞は優勝した若乃花
に黒星をつけている。柏戸の前みつを取って走る取
り口は相撲本来のもので技能賞に値した。

<柏戸のブロマイド>

明武谷 殊4・敢4
起重機といわれ、吊り出しを得意とした。堀の深い
顔立ちと筋肉質で女性に人気があった。優勝決定巴
戦に2度出場し、敢闘賞を受賞している。優勝した
大鵬に2度勝って殊勲賞を獲得している。10勝5敗、
途中休場の大鵬に勝って殊勲賞を受賞している。大
鵬キラーによる殊勲賞であった。4場所連続三賞受
賞を記録している。

<明武谷>

長谷川 殊3・敢3・技2
長谷川は本名である。入幕した年に技能賞を受賞し
ている。2回目の技能賞は実に約9年弱後であった。
殊勲賞は優勝柏戸に勝って受賞した。2回目は北の
富士、3日目は玉の海に勝ってのものだった。敢闘
賞は13勝2敗、12勝3敗優勝の場所に獲得している。
3回目は10勝5敗で受賞している。関脇を21場所務
めた強豪関脇であった。

<長谷川のブロマイド>

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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