大相撲

新入幕から初優勝までの場所数 2

戦後編
ここでいう戦後は、新入幕力士が年6場所制以前の
場所までを指す。年6場所は実質昭和32年九月場所
から始まった。それ以前の新入幕力士かつ初優勝下
力士が対象になる。引き続き初優勝まで何場所目か
みていこう。

戦後は混乱期を除けば、年3場所、4場所と場所数
が増えていった時期である。昭和32年は年5場所に
なった。昭和22年秋場所から系統別総あたり制にな
った。また、その1場所前から優勝決定戦制度が始
まった。

<東富士のブロマイド>

戦後最初の初優勝は怒涛の寄り身東富士であった。
新入幕から6場所目であった。戦後期待の星千代ノ
山が9場所目であった。1ケタは二人だけであった。
場所数が増加していくと急激な成長は簡単ではなく
なる。

相撲の黄金時代を築いた栃錦・若乃花はどうか。栃
錦は新入幕から16場所目であった。小兵が初優勝。
栃錦は感激のあまり涙が止まらず、フェイスタオル
でぬぐっていた。

<栃錦のブロマイド>

若ノ花は新入幕から24場所目の初優勝となった。そ
の前場所優勝決定戦で逃していた。今度は優勝決定
戦をモノにした。弟弟子の若三杉は10場所目の初優
勝であった。

場所数がかかったのが三根山である。新入幕から29
場所目の初優勝であった。三根山は1回限りの優勝
だった。

<三根山のブロマイド>

場所数がかかった次点は照國の25場所目であった。
照國は横綱になってもなかなか優勝できずにいた。
後輩横綱の東富士・千代ノ山に先を越されていた。
2回優勝したが、連続優勝と全勝優勝を達成した。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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