大相撲

貴景勝の大関負け越し率

さる一月場所、大関貴景勝は早々と休場した。頸椎
症性神経根症で場所前から首の痛みを訴えていたと
いう。ケガはやむをえないが、またも角番となって
しまった。

<一月場所貴景勝休場>

貴景勝の法則がある。その一つに1年に1回は休場
するである。貴景勝が大関に昇進して休場がなかっ
た年は1度もない。2回休場した年さえある。

貴景勝は今年の一月場所で大関在位27場所をむかえ
た。これまで全休が2回、途中休場負け越しが6回
になる。そのほかにフル出場負け越しが1回ある。

つまり大関在位27場所中9回負け越していることに
なる。大関負け越し率は33,3%になる。これは1年
に1.9回休場していることになる。なお、大関負け
越し率が少なかった昭和以降の大関は琴風である。
9%だった。次点が琴光喜11.8%、さらに貴ノ花が
12%で続く。

<貴景勝の大関負け越し率は33%>

貴景勝は新大関を途中休場した。翌場所全休で関脇
に降格した。その場所で12勝して大関に復帰した。
その後6回の角番をのり切った。そして大関復帰後
7回目の角番を三月場所に迎える。

首の痛みだけに危ういという見方が出ている。通常
大関の角番は場所の話題にならない。だが、貴景勝
がピンチなだけにどうにも気になる存在になるかも
しれない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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