昭和5年夏場所横綱常ノ花が引退した。横綱在位20
場所、33歳だった。もう一人の横綱宮城山は大阪横
綱であり、あまり強くなかった。昭和6年春場所引
退している。
玉錦の3連覇はこの両横綱の引退のはざまである昭
和5年10月場所から始まった。玉錦は大関2場所目
であった。11日制のなか8日目、関脇天竜と2敗同
士で対戦した。玉錦はこの一番を寄り倒しで制した。
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10日目1敗の小結武蔵山と対戦した。勝った方が優
勝に近づく。優勝決定戦はなった。同成績なら番付
上位の優勝だった。玉錦の逆ひねりで武蔵山は左ひ
ざをついてしまった。これで玉錦は一歩踏み出した。
千秋楽は大関大ノ里を寄り切って2回目の優勝とな
った。
続く昭和6年春場所。取組は東西制だから同じ方屋
での対戦はなかった。千秋楽を迎え東は下から3枚
目の1敗鏡岩、2敗は大関玉錦・関脇朝潮、西は関
脇天竜が2敗であった。玉錦対天竜はすでに終わっ
ており、極めたおしで玉錦が勝っている。
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千秋楽、1敗鏡岩は山錦に敗れ2敗に後退。2敗朝
潮は2敗天竜と対戦した。朝潮が寄りで2敗を守っ
た。しかし、玉錦が小結武蔵山に勝って連続優勝を
達成した。
次の場所、昭和6年3月場所はしびれる展開になっ
た。1敗大関玉錦と全勝小結武蔵山が千秋楽激突し
た。めきめき実力をつけてきた武蔵山だが、玉錦は
気力で勝って大関3連覇を達成した。
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しかし玉錦は大関3連覇でも横綱になれなかった。
小部屋の悲哀といわれたが、それだけではない。玉
錦はケンカ玉といわれ、日ごろの素行に問題があっ
た。また当時は横綱昇進基準があいまいであった。
さらに協会の勢力図は出羽一門が中心であった。大
関の3連覇は玉錦だけであり、今後もうまれないだ
ろう。