大相撲

優勝物語 玉錦大関3連覇

2023年12月15日

昭和5年夏場所横綱常ノ花が引退した。横綱在位20
場所、33歳だった。もう一人の横綱宮城山は大阪横
綱であり、あまり強くなかった。昭和6年春場所引
退している。

玉錦の3連覇はこの両横綱の引退のはざまである昭
和5年10月場所から始まった。玉錦は大関2場所目
であった。11日制のなか8日目、関脇天竜と2敗同
士で対戦した。玉錦はこの一番を寄り倒しで制した。

<玉錦のブロマイド>

10日目1敗の小結武蔵山と対戦した。勝った方が優
勝に近づく。優勝決定戦はなった。同成績なら番付
上位の優勝だった。玉錦の逆ひねりで武蔵山は左ひ
ざをついてしまった。これで玉錦は一歩踏み出した。
千秋楽は大関大ノ里を寄り切って2回目の優勝とな
った。

続く昭和6年春場所。取組は東西制だから同じ方屋
での対戦はなかった。千秋楽を迎え東は下から3枚
目の1敗鏡岩、2敗は大関玉錦・関脇朝潮、西は関
脇天竜が2敗であった。玉錦対天竜はすでに終わっ
ており、極めたおしで玉錦が勝っている。

<天竜のブロマイド>

千秋楽、1敗鏡岩は山錦に敗れ2敗に後退。2敗朝
潮は2敗天竜と対戦した。朝潮が寄りで2敗を守っ
た。しかし、玉錦が小結武蔵山に勝って連続優勝を
達成した。

次の場所、昭和6年3月場所はしびれる展開になっ
た。1敗大関玉錦と全勝小結武蔵山が千秋楽激突し
た。めきめき実力をつけてきた武蔵山だが、玉錦は
気力で勝って大関3連覇を達成した。

<武蔵山のブロマイド>

しかし玉錦は大関3連覇でも横綱になれなかった。
小部屋の悲哀といわれたが、それだけではない。玉
錦はケンカ玉といわれ、日ごろの素行に問題があっ
た。また当時は横綱昇進基準があいまいであった。
さらに協会の勢力図は出羽一門が中心であった。大
関の3連覇は玉錦だけであり、今後もうまれないだ
ろう。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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