大相撲

出羽系対ニ所系 中

分家独立を許さずの不文律の出羽系。分家独立奨励
を打ち出した二所系。戦後、相撲界は食糧事情が悪
く、日本の古いものはすべてダメという風潮による
不人気、両国国技館接収と困難をかかえていた。人
気回復策として昭和22年秋場所から系統別総あたり
制を導入した。

戦後、ホープ中のホープが千代の山であった。千代
の山は期待に応え横綱に昇進した。師匠は元常ノ花
の出羽海であった。ところが千代の山は横綱返上問
題をおこしている。筆者はこれを横綱10大史にいれ
ている。

<千代の山のブロマイド>

出羽海の分家春日野(元栃木山)部屋から横綱が誕
生した。栃錦である。小兵ながら相撲にかける執念
はものすごく、マムシと呼ばれた。関脇以下のとき
は技能賞の常連であった。名人横綱であった。

ニ所系では分家の花籠(元大ノ海)部屋から若乃花
が横綱に昇進した。若乃花はひざにバネがあった。
力士を見る目で新しい着眼点であった。若乃花が序
ノ口のとき栃錦はすでに幕内であった。本来ならラ
イバルになりうる関係でなかった。若乃花のスピー
ド出世が栃若時代を築くことになった。

本家ニ所ノ関(元佐賀ノ花)部屋から大横綱が生ま
れた。大鵬である。本家ニ所ノ関部屋は大鵬で花開
いた。若くて、負けない相撲で数々の記録を塗りか
えていった。6場所時代の申し子と言われた。

<大鵬>

大鵬と同時代に出羽系で誕生した横綱が分家春日野
(元栃錦)部屋の栃ノ海であった。うまさは栃錦以
上といわれ、拝んでの寄りは抜群だった。ケガのた
め、勝てなくなって引退した。まだ28歳だった。

出羽海(元出羽ノ花)部屋から久々に誕生した横綱
が佐田の山である。大関17場所と長かったがようや
く決めた。横綱直前の場所から部屋別総あたり制が
始まった。大鵬戦は対戦成績の数字はともかく熱戦
が多かった。

戦後系統別総あたり制では出羽系が4人、ニ所系が
2人の横綱を誕生させた。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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