大相撲

立ち合い今昔

8月のある土曜、相撲趣味の会の例会にオブザーバ
ーとして参加した。会長とはかつて相撲友の会の例
会で何度かご一緒した。例会のテーマは別にあった
けれど、雑談で手をおろさない立ち合いの話が出た。
手をつかないなりに阿吽の呼吸で立っていた、とい
うのである。現代大相撲は手をおろしても呼吸があ
わないことはある。

<栃錦のブロマイド>

手をおろさない立ち合いは横綱の代でいえば栃錦か
らである。ただ、初代若乃花はきちんと手をおろし
ていた。手をおろさない立ち合いは長らく続いた。
というよりそのまま続くと思われた。

転機は元三重ノ海の武蔵川理事長であった。ルール
ブックに書いてあるからと2008年九月場所から手を
おろす立ち合いが徹底的に実施された。横綱の代で
いうと朝青龍であった。なお、メディアでも手をつ
くという表現をすることがあるが、厳密には手をお
ろすである。

<武蔵川(元三重ノ海)理事長>

双葉山に対する称賛は様々あるが、口をそろえて言
われることは双葉山の立ち合いのりっぱさである。
相手が立てばいつでも立つ。なぜそんなことができ
たのか。「1日に10分(当時の仕切り制限時間)だ
け集中すればいいんです」と双葉山こともなげに言
う。

双葉山の立ち合いは足の位置を左から右という順で
決める。そして腰を割る。このとき双葉山は、左ヒ
ジを左ヒザにのせ、右手は手のひらを右ヒザにのせ
る。この形で、相手としばらく見合い、呼吸を合わ
せる。

<双葉山の仕切りのブロマイド>

現代は手をおろすようになったが、十両は2回目の
仕切りで立つ傾向がある。幕内も最初のうちは2回
目で立つ。立ち合いの規定では幕内4分、十両3分
である。目安として幕内は仕切り4回、十両は3回
である。進行の関係があるかもしれないが、この辺
は改良の余地はある。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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