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天竜と大ノ里

天竜といえば昭和7年1月6日におきた春秋園事件
の中心人物として有名である。幕内西方の全力士20
人と十両の出羽系11人が、品川大井町の中華料理店
春秋園に集結した目的は大相撲の近代化へ向け、力
士生活の安定化、大相撲の大衆化、協会の制度改善
である。天竜がまとめ、協会に要求決議書10ヶ条を
訴えたのである。

<天竜のブロマイド>

これに対して協会は誠意なき回答であった。憤慨し
た出羽系の力士たちは、1月9日脱退状を協会に提
出。協会も除名破門で応じた。あまりにも早い結論
は後戻りできない状態へと突入した。1月10日出羽
系中心の力士は大日本新興力士団として旗揚げする
ことに決定した。

天竜と最後まで行動をともにしたのが大関大ノ里で
あった。大ノ里は元高見山の2代高砂の分家で行司
木村一学がおこした若松部屋出身だった。若松の後
継者が三段目の行司に憤慨した。

<大ノ里のブロマイド>

大ノ里は八甲山とともに3代高砂(元2代朝潮)の
下で独立した元綾浪源逸の湊川部屋に移籍した。し
かし、湊川部屋所で八甲山から暴行を受け負傷した
ため、出羽海(元常陸山)部屋へ再移籍した。大正
10年春場所から出羽海力士として土俵に上がってい
る。

天竜と大ノ里には共通点がある。それは多系統であ
る弟子に襲名させたことである。

天竜は元佐賀ノ花のニ所ノ関弟子島田に天龍として
襲名させた。むろん許可を得てのものであった。

<ゴング格闘技増刊の天龍特集 日本スポーツ出版社>

元佐賀ノ花のニ所ノ関死去後、二所ノ関は分裂した。
元大麒麟の押尾川部屋と元金剛のニ所ノ関部屋であ
る。天龍は押尾川と行動をともにしていたが裁定で
ニ所ノ関部屋に戻された。元金剛と天龍はうまくい
くはずもなく、天龍はプロレスに転向した。さすが
に初代天竜はプロレスで名のられることは想定して
いなかったが、どうにもならなかった。

大ノ里は大の里として元稀勢の里のニ所関の弟子中
村が名のることになった。大ノ里は肋膜を患い、45
歳で亡くなっている。場所は大連であった。大の里
はすでに十両入りが発表されている。

<大の里>

四股名は系列を超えてということかもしれないが、
部屋の四股名は大事に扱って頂きたい。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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