七月場所、大関貴景勝は11勝、大関正代は10勝と久々
に2ケタ勝利となり、気をはいた。これをもって貴景
勝・正代はよみがえった。とは言い切れないところが
大関の大関たるゆえんである。実際貴景勝は、大関
18場所中2ケタ勝利は5場所である。負け越しは6場
所である。正代は大関12場所で2度目の2ケタ勝利で
ある。負け越しは倍の4場所である。
大関昇進が決定すると協会から使者がたち、伝達式が
おこなわれる。新大関は使者を迎えて口上を述べる。
大関はかくも特別の地位であり、協会の看板である。
さらにいえば高い待遇を受けている。大関は横綱が
不調のとき、その存在価値を示して当然である。しか
し、実際はそう言い切れないのが現実である。
大関は横綱に頭をおさえられ、下から突き上げられる
受難の中間管理職のような存在になっている。しか
も、横綱昇進基準は甘くなっているからちょっとばか
り強い大関は横綱になってしまう。昭和の時代には
名大関は清水川一人、といわれた時期があった。大
関は協会の看板でなくなり、2場所連続負け越さない
限り関脇に降格しない特権と待遇のよさだけ残った
存在といえる。
こうしてみると大関って本当に強いのか、という素朴
な疑問が出てくる。大正15年の優勝制度以降横綱の
優勝は293回である。これに対し、最高位大関の大関
優勝は39回にすぎない。ちなみに関脇優勝は32回で
ある。大関は横綱の次のように見えるのは番付上の
ことに過ぎない。実際は天と地ほどの開きがある。
九月場所3大関はどういう結果を残すのか。現状では
優勝候補にあげにくいが、優勝争いをすることはあり
える。若隆景、逸ノ城だって優勝候補だったわけでは
ない。勢いにのれば浮上することはありえる。それは
やってみなくてはわからないレベルではある。下手を
すれば五月場所のように大関弱体化だって考えられ
る。関脇が強い場所は面白いという。しかし、大関が
強い場所はもっと面白いのである。