今年に入って4場所、若隆景・逸ノ城と初優勝が2場
所出た。彼らが今後2回目の優勝をするかどうかは
不明だが、現時点では初優勝のみの力士である。優勝
制度は大正15年に始まった。それ以降477場所経過し
た。そのうち初優勝のみ、すなわち優勝1回だけの
力士は47人に及ぶ。全体の10.5%に相当する。それが
以下である。
その内訳は大関14人、関脇6人、小結4人、前頭上位
10人、前頭中位以下13人である。大関が最も多い。
平成以降では霧島、琴欧洲、把瑠都、豪栄道、琴奨菊
が該当する。関脇では出島、武双山、玉鷲、若隆景が
名を連ねている。
横綱・大関と対戦のない優勝が6回ある。優勝として
まったく価値のないケースである。横綱・大関と部分
対戦は6回ある。昭和46年七月場所から幕内で横綱・
大関との対戦圏外でも好成績なら横綱・大関と対戦
させるという規定が施行された。
だが、どこか徹底していないところがある。近年は
横綱・大関リーグ戦をくずして13日目以降に組むケー
スが目立った。13日目以降では遅すぎるし、横綱・
大関リーグ戦をくずしてほしくない。工夫なき取組
編成だった。
問題なのは初優勝のみの力士の翌場所の成績である。
春秋園事件で脱退した綾櫻と来場所の成績がこれから
の逸ノ城を別にすると45人中22人が休場を含め、負け
越している。五分が備州山で一人いる。最低は若浪・
貴闘力・旭天鵬の2勝13敗である。負け越した力士は
本当に地力でした優勝だったのか。疑問が残る結果と
なった。
初優勝のみの力士翌場所のトータルの成績は292.5勝
306.5敗34休である。すでにトータルで負け越してい
る。武蔵山、安藝ノ海、前田山、吉葉山はその後横綱
に昇進したが、弱い横綱だった。当然、横綱優勝は
ない。初優勝のみの力士はどうも翌場所いい成績を
残せない傾向が目立つ。逸ノ城は九月場所どんな成績
を残せるのだろうか。