大相撲

錦富士の出世街道

錦富士が前相撲から5年10カ月かかり、入幕を果た
した。錦富士は小学校で相撲を始めた相撲少年であっ
た。本人はそんない強くなかったと謙遜するが、継続
は力なりであった。中学、高校と相撲部であった。
三本木農業高校では阿武咲と同期であった。大学は
近畿大に進学したが、中退して伊勢ヶ濱(元旭富士)
部屋に入門した。同じく近畿大を辞めて入門してきた
者が翠富士であった。

同期入門の錦富士と翠富士は早くも序ノ口優勝決定戦
で激突した。錦富士は序ノ口まで本名の小笠原、同様
に翠富士は本名の庵原で取っていた。7戦全勝同士の
この一戦は力の入った一番となったが、最後小笠原が
寄り倒しで勝っている。2016年十一月場所のことで
あった。

<小笠原が庵原を寄り倒して優勝>
<序ノ口優勝の表彰を受ける小笠原>

これだけでは終わらなかった。翌一月場所、錦富士と
翠富士は序二段7戦全勝同士で再び優勝決定戦でぶつ
かった。リベンジに燃える翠富士であったが、はたき
込みで敗れ、優勝はまたしても錦富士に輝いた。

<序二段優勝決定戦を制した錦富士>

三段目時代錦富士は、若隆景と対戦している。お互い
ざんばら頭だったが、最後は突き落としで若隆景が
勝って優勝している。若隆景は三段目付出でデビュー
し、これが2場所目だった。錦富士は三段目で1度
負け越したものの順調に幕下まで番付をあげてきた。

<若隆景対錦富士(右)>

だが、2018年一月場所で左膝を痛めて途中休場した。
だが、靭帯断裂はなかった。再出場したものの、この
場所は1勝しかできなかった.2019年三月場所と七月
場所で琴手計(のちの琴勝峰)と対戦して1勝1敗の
成績を残している。その直後九月場所まえの稽古で
左ひじの筋断裂に襲われた。九月場所は無理して出場
も途中休場、翌場所は全休した。幕下3枚目での挫折
であった。

復帰後は幕下優勝もあって3場所で十両昇進を決め
た。しかし、新十両からがながかった。幕下落ちが
あった。再十両後も一進一退が続いた。先場所の五月
場所十両中位から11勝4敗で優勝してようやく入幕を
果たした。

<新十両>

錦富士 183センチ 143キロ 25歳(七月場所中に
26歳になる)青森県出身 得意は左四つ寄りである。
幕内で対戦が予想される力士との十両時代の対戦成績
は以下である。
錦木 2勝4敗
大奄美1勝4敗
王鵬 1勝4敗
剣翔 2勝2敗
琴勝峰2勝1敗
一山本1勝2敗
千代丸1勝
千代翔馬1敗

錦富士はどんな相撲をみせてくれるのか、楽しみで
ある。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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