大相撲

年間最多勝の変遷9

2021年9月6日

平成4年から新しい力が台頭してきた。貴花
田、曙、若花田少し遅れて武蔵丸である。
平成4年は貴花田が初優勝して日本中を熱狂
させた。この年2回優勝しているが、5勝
10敗の大敗もあり、年間最多勝は60勝30敗と
これまでで最低の成績となった。といっても
地位は平幕から関脇であり、まだ安定した
成績を求めるのは無理があった。一月場所
横綱旭富士が引退した。五月場所前、横綱
北勝海が引退して横綱不在になった。

平成5年は曙が大関から横綱に昇進した。
突き押しの破壊力は抜群で76勝14敗と好成績
を残した。曙と貴ノ花・若ノ花は同期であっ
たが、大関・横綱の出世は曙が先行した。
七月場所、3人は13勝2敗で優勝巴戦をおこ
なっているが、曙が2人を撃破して2番で
終わっている。

<曙>

平成6年からは貴乃花が4年連続年間最多勝
力士になっている。曙は休場がマイナスに
なって差をつけられるようになってきた。
平成10年、貴乃花は2場所休場があり、若乃
花が初の年間最多勝力士となった。ただ、
若乃花は平成11年三月場所から不調に陥り、
1年後引退した。また、平成11年は貴乃花が
3場所、曙が4場所休場したため、フル出場
の武蔵丸が年間最多勝に輝いた。

<貴乃花>

平成12年は曙が76勝14敗という好成績で久々
に年間最多勝を手中にした。しかし、曙は
平成13年一月場所を全休して突然引退して
しまった。優勝間もないことでいささか驚い
たことを覚えている。平成13年は、貴乃花が
致命的なケガで七月場所から長期休場に入っ
た年だった。武蔵丸が2回目の年間最多勝
力士となった。

<武蔵丸>

さらに、時代は新たな方向へと動こうとして
いた。

今日は多忙な1日になりそうです。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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