大相撲

四股名あれこれ 動物編1

九月場所、新入幕翔猿が活躍したことでその
名を広く知らしめた。テレビの司会者が「最
初しょうえんと読むのかと思ったよ」と発言
していた。そこで動物にちなんだ四股名を
調べてみることにした。

<翔猿>

1.動物といっても竜(龍)、麒麟、鳳、
鵬などの伝説や空想上の動物は含めなかった。
2.鯱はしゃちと読む四股名は入れ、しゃち
ほこと読む四股名は入れなかった。
3.獅子はライオンの別称ということで含め
た。唐獅子(そういう四股名はなかったが)
は別物とした。
4.四股名は最終の名を原則採用したが、
もっとも通っている名にしたものもあった。
入幕したときは鰐石(わにいし)だったが、
のちに剣山と改名したため、惜しくも(?)
動物の四股名からはずれることになった。
5.対象は、番付が現存する宝暦7年10月
以降の江戸・東京の幕内(上段)力士とした。

まず、哺乳類からみていこう。同じ四股名の
襲名は含まず、種類からみると最も多かった
哺乳類を含む名が虎であった。
虎渡
虎ヶ嶽
虎灘
ここまでは江戸の明和の力士である。江戸
時代はこの3力士のみである。3人とも上段
1場所で終わっている。

明治では1人である。
荒虎
明治の荒虎から時を隔てて虎の四股名が登場
したのは、昭和40年以降になる。
竜虎
巌虎
影虎
猛虎浪
このあたりになると耳にしたことがあるの
では。竜虎が登場したときは竜虎相うつ、
という言葉からわかるように、2匹いて成り
立つものなのである。だが、一人で竜虎とは
いかがなものかという見方があった。荒虎と
竜虎だけが小結になった。虎の四股名に関し
て襲名はなかった。すべて一代限りであった

<日馬富士>

次に哺乳類を含む名が多かったのが、馬で
7種類ある。江戸時代は3種類ある。
相馬山
荒馬
有馬山
相馬山は怪童というだけの看板力士であった。
このうち荒馬は江戸時代に寛政、文化、天保
と3人いた。有馬山は大関までいった。以下
は平成以降の力士である。直近の4人はすべ
てモンゴルである。モンゴルと馬は切り離せ
ないということか。そのなかで、日馬富士は
横綱にまで駆け上がった。千代翔馬と霧馬山
は現役である。霧馬山はどこまで出世するか、
素材はいい。
若兎馬
日馬富士
白馬
千代翔馬
霧馬山

<霧馬山>

馬と同様7種あった哺乳類を含む文字が鹿で
ある。江戸時代は4人いる。鹿間津はしか
まつ、雄鹿島はおしかじまと読む。上段1
場所在位であった。鈴鹿山は巨人の看板だけ
の力士であった。鹿島灘はこのあと秀の山
雷五郎を名乗り、クレームを受けている。
鹿間津
雄鹿島
鈴鹿山
鹿島灘

明治は一人いる。おにかげと読む。
鬼鹿毛

<鹿嶋洋のブロマイド>

昭和では2人いる。鹿嶋洋は戦前の力士で
ある。双葉山は69連勝で連勝が止まった後、
3連敗している。3連敗目が鹿嶋洋であった。
平鹿川はひらかかわと読む。彼は昭和31年の
入幕だから鹿の文字が消えて久しい。
鹿嶋洋
平鹿川

(この項目続く)

歯を掃除してきました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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