七月場所関脇御嶽海の優勝の余韻を残す場所
後である。いつの時代も初優勝はどこか感動
的である。御嶽海は関脇で優勝しながら、
大関は来場所かけることになる。三月場所
7勝8敗、五月場所9勝6敗では無理からぬ
ことであった。
関脇優勝は26例25人いる。実は26例中18例が
関脇優勝直後大関に昇進している。かなり
高い確率である。御嶽海のケースは少数派
といえる。それではこれまでどのようなケー
スで大関に昇進し、あるはチャンスをもち
越したのかみていこう。
東京-西日本と年4場所が開催されるように
なった。当初、東京場所は東京場所で、西日
本場所は西日本場所で番付をつくっていたが、
同じ力士が東京場所と西日本場所であまりに
地位が違いすぎるケースが出てきた。その
ため、昭和3年夏場所より、東京場所と西日
本場所の合計の成績で番付を出すようになっ
た。年4場所でも番付は2回発表になった
のである。そのため、関脇優勝した玉錦と
清水川は現代とはかなり異なる事情となった。
<清水川のブロマイド>
玉錦も清水川も東京場所で関脇優勝している。
番付は東京場所と西日本場所の2場所で決ま
るから、東京場所の関脇優勝だけでは変化は
ない。清水川は翌場所の3月場所で8勝2敗、
合計16勝2敗で大関に昇進した。
<玉錦のブロマイド>
しかし、玉錦は翌場所の3月場所、9勝2敗、
合計19勝3敗をあげながら大関昇進はなかっ
た。結局、玉錦が大関に昇進したのは、関脇
優勝後から6場所後であった。大関2場所目
から3連覇しながら、横綱に昇進できない
などの扱いは、玉錦の素行と小部屋の悲哀に
よるものだといわれている。
(この項目続く)
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