大相撲

【7月21日】専門誌へのアプローチ

2018年7月17日

学生時代はプロレスと大相撲に明け暮れて
いた。大学を卒業したらプロレス専門誌「ゴ
ング」の日本スポーツ出版社か相撲専門誌
「大相撲」(読売「新聞社)の就職を考えて
いた。

日本スポーツ出版社は、あるスポーツ出版社
が昭和42年ごろ傾き、そのなかからはじかれ
た人の有志によって昭和43年に創立・創業
した会社であった。最初は神保町の洋服屋の
3階をオフィスとしてスタートした。資料も
写真もなかった。それから約4年後には白山
に社屋をかまえた。社屋といっても当初、
外側のつくりは家という感じだった。
マスカラス
<ゴング誌>

日本スポーツ出版社には当然ながら定期採用
はない。人が必要になったとき、プロレス
ファンクラブの会長などが引っ張られる。
場合によってはプロレスマスコミから移籍
して来ていた。そういうわけで縁はなかった。
大相撲は好きな専門誌であったが、まったく
手がかりはなかった。

そういうわけで大学卒業後の仕事は、編集は
編集でもスポーツ専門誌ではなく、少年漫画
誌であった。大学時代、漫画研究会に所属
していたから、まったく畑違いというわけ
ではなかった。

日本スポーツ出版社は創立39年目に週刊ゴン
グが休刊し、その数年後に倒産した。ある
時期すでに自社ビルを手放していた。人間
万事塞翁が馬という言葉をかみしめないわけ
にはいかなかった。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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