今でこそ外国人の優勝は当たり前の時代に
なっている。いや、それどころか、琴奨菊の
平成28年一月場所の優勝は、日本出身の日本
人優勝としては10年ぶりであった。その間
モンゴル、ブルガリア、エストニアと外国勢
の独占であった。そうした外国人の優勝にも
最初がある。外国人優勝2人目の小錦から
遡ること約17年4ヶ月前、初の外国人優勝を
果たしたのは高見山であった。
昭和47年は、誰が優勝するのかまるでわから
ないというとんでもない年であった。一月
場所から五月場所まで関脇以下の初優勝で
あった。迎えた七月場所、前頭4枚目の高見
山は大関琴桜に負けただけの8勝1敗。追う
関脇貴ノ花は3敗。なお、当時の外国人関取
は高見山一人であった。10日目両者は直接
対決で激突した。この一番を制した貴ノ花が
1差と迫った。
しかし、ここから両者白星を重ねて、差は
一向に縮まらないまま千秋楽を迎えた。高見
山の対戦相手は旭国であった。旭国は再々
入幕2場所目であった。大関に昇進するのは、
この場所を含め24場所後であった。相撲は、
高見山が上手をがっちり引き付け、体を生か
して寄り切った。この瞬間高見山の外国人
初優勝が決まった。
初優勝が決まった。
柔道は東京オリンピックでヘーシンクに敗れ、
本家の面目丸つぶれであった。相撲よ、お前
もか、というわけである。「情けない」と嘆く
協会関係者がいた。ショックを隠せぬ者も
いた。武蔵川(元出羽ノ花)理事長がぎっく
り腰になったのは高見山ショックのせいでは
ないか、などとささやかれた。
結局高見山の場合は、相撲部屋で育ち、稽古
してきたのだから、ヘーシンクとはケースが
違うということになった。また、外国人の
初優勝で戸惑ったことがあった。君が代斉唱
なのか、出身の国歌にするのかということが、
まことしやかに言われた。
その後、小錦、曙、武蔵丸とハワイ勢が優勝
していった。そしてモンゴル勢へと移って
いった。だが、外国人初優勝には様々な見方
がいきかっていたのである。
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