大相撲

巡業での稽古のあり方

2017年4月6日

春巡業が始まって、巡業の様子が伝えられて
いる。負傷した稀勢の里は休場している。
負傷に関して新たな情報がはいると、短期間
に直ると考えるのは、楽観的すぎると思えて
くる。また、無理に出場しても、百戦錬磨
及び若手力士は今度間違いなく稀勢の里の
弱点をついてくる。稀勢の里は十分に直して、
戦える体をつくってから土俵復帰を果たして
いただきたいものだが、いかがだろうか。
170326千秋楽幕内・表彰 746
<負傷が痛々しい稀勢の里>
 
今巡業というと大合併で行われるのが当たり
前になっている。これで十分な稽古ができる
のかというと大いに疑問である。今の巡業は
稽古後、出し物や取組まである。巡業で取組
を見たい方はどれほどいるのだろうか。こん
な話を元力士に聞いたことがある。「巡業の
取組でケガして本場所を休むようなことが
あると、本末転倒になります」。つまり、
巡業の取組はケガをしない程度にやるもの
なのである。

古くは、巡業は一門中心で行われていた。
一門の中には当然ながら、看板力士がいない
こともあった。とにかく稽古をやらなければ、
間がもたない状態だった。昭和27年大ノ海は
自らスカウトした若ノ花らを連れて二所ノ関
(元佐賀ノ花)部屋から芝田山(後花籠)
部屋を独立させた。この当時若ノ花はすでに
小結を経験していた。
若乃花
<若乃花>
 
巡業も当時はいまのような大合併でなく、
花籠部屋などは単独で、いわゆる小相撲と
呼ばれる一部屋だけの巡業をやるしかなかっ
たのである。(中略)
この部屋の巡業を見にくるお客さんのお目当
ては、若乃花一人である。だから、若乃花は
土俵からおりるわけにいかない。入れ替わり
立ち替わり向かってくる若い連中を相手に、
若乃花はけいこをつけてやる。(中略)若乃
花のけいこは百番をくだることはない。最近
の横綱、大関が二十番もけいこすると記事に
なるなどというのとはケタが違う。(栃若
時代 小坂秀二著 光人社刊より)
栃若
<栃若時代 小坂秀二著 光人社刊>
 
昭和34年の専門誌でも数百人の力士が数週間
歩いたって稽古はできっこない。稽古ができ
ない巡業形態をとっている。巡業で稽古が
できないのだから、相撲が面白いわけがない。
稽古もしないで満足な相撲が取れるはずが
ない。という趣旨のことが書かれている。
巡業
<巡業のパンフレット> 
 
大合併でやるのならけいこが十二分にやれる
方法を打ち出す必要がある。北玉が横綱の
ころ、夏巡業を2班に分けたことがあった。
こうした工夫も必要である。

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  • この記事を書いた人
denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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