三月場所の優勝力士は誰か、となると決定打
に欠ける。候補をあげても場所が始まって
みなければ何ともいえない。いわば核となる
横綱がいない状態である。本来なら稀勢の里
が一番相撲が安定し、勢いがあるのだが、新
横綱の優勝は簡単ではない。年2場所の時代
はともかく、昭和33年の年6場所制以降では、
大鵬、隆の里、貴乃花の3人しかいない。
初代若乃花から鶴竜まで27人の横綱がいる。
確率は11.1%にすぎない。3人はどのよう
にして新横綱優勝を達成したのか。
<新横綱稀勢の里>
大関になる前から将来の横綱と見られていた
大鵬は、期待に応えて連続優勝で横綱に昇進
した。このころ先輩横綱初代若乃花は、優勝
から遠ざかっている存在であった。朝潮は
横綱の力が乏しかった。そのため、大鵬は
事実上のトップだった。ライバル柏戸は強敵
であったが、取りこぼしがつきものであった。
そうした状況のなか、若くて強くて伸び盛り
の大鵬は新横綱優勝を達成した。大鵬は翌場
所も優勝して4連覇している。
<王者大鵬>
稀勢の里の師匠であった隆の里は、30歳を
超えて横綱に昇進した。「おしん横綱」と
いわれ、辛抱してのぼった最高位であった。
入門時、同じ列車で上京した2代目若乃花
より5年遅れての昇進だった。隆の里を苦し
めたのは、幕下の頃見つかった糖尿病であっ
た。体をつくる時期に食生活を制限しなけれ
ばならなかった。隆の里は力士を辞めなけれ
ばならないことを思うと、どんなことでも
耐えられた。そうした食事療法が功を奏し、
つらい糖尿病に勝ったのである。
隆の里が横綱に昇進したころは、千代の富士
が第一人者であった。だが、隆の里は千代の
富士との相星決戦を3勝1敗で制して、堂々
たる勝利で優勝した。それが横綱直前と新横
綱での優勝である、それも新横綱では15戦
全勝優勝という史上初の快挙を成し遂げた。
<おしん横綱隆の里>
貴乃花は大鵬同様若い頃から将来の横綱の
逸材として注目されていた。しかし、当時は
2場所連続優勝が絶対の時代であった。その
ため、14勝優勝-11勝-14勝優勝-11勝-15
勝優勝でも横綱に昇進できなかった。翌場所
再び15戦全勝優勝してようやく横綱に昇進
した。2場所連続全勝優勝して横綱に昇進
したのは、貴乃花が初めてであった。
当時は同期の曙が先に横綱に昇進していた。
だが、優勝回数では曙を抜いていたし、今後
はさらに広がる予感があった、貴乃花は新横
綱の場所、曙と2敗相星決戦を制し、新横綱
優勝を決めた。
<若貴ブームをおこした貴乃花>
新横綱稀勢の里は、彼らに続くことができる
のだろうか。師匠は当時第一人者であった
千代の富士に勝って優勝している。ぜひ師匠
に続きたいところである。群雄割拠の今、
稀勢の里はわずか11.1%の確率に挑まなけれ
ばならない。
久しぶりに大鵬自伝に目を通しました。
興味深いテーマをこれからもお届けます。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑