大相撲

新横綱の優勝確率11.1%に挑む稀勢

2017年3月4日

三月場所の優勝力士は誰か、となると決定打
に欠ける。候補をあげても場所が始まって
みなければ何ともいえない。いわば核となる
横綱がいない状態である。本来なら稀勢の里
が一番相撲が安定し、勢いがあるのだが、新
横綱の優勝は簡単ではない。年2場所の時代
はともかく、昭和33年の年6場所制以降では、
大鵬、隆の里、貴乃花の3人しかいない。
初代若乃花から鶴竜まで27人の横綱がいる。
確率は11.1%にすぎない。3人はどのよう
にして新横綱優勝を達成したのか。
170127稀勢の里明治神宮 217
<新横綱稀勢の里>
 
大関になる前から将来の横綱と見られていた
大鵬は、期待に応えて連続優勝で横綱に昇進
した。このころ先輩横綱初代若乃花は、優勝
から遠ざかっている存在であった。朝潮は
横綱の力が乏しかった。そのため、大鵬は
事実上のトップだった。ライバル柏戸は強敵
であったが、取りこぼしがつきものであった。
そうした状況のなか、若くて強くて伸び盛り
の大鵬は新横綱優勝を達成した。大鵬は翌場
所も優勝して4連覇している。
大鵬2
<王者大鵬>
 
稀勢の里の師匠であった隆の里は、30歳を
超えて横綱に昇進した。「おしん横綱」と
いわれ、辛抱してのぼった最高位であった。
入門時、同じ列車で上京した2代目若乃花
より5年遅れての昇進だった。隆の里を苦し
めたのは、幕下の頃見つかった糖尿病であっ
た。体をつくる時期に食生活を制限しなけれ
ばならなかった。隆の里は力士を辞めなけれ
ばならないことを思うと、どんなことでも
耐えられた。そうした食事療法が功を奏し、
つらい糖尿病に勝ったのである。

隆の里が横綱に昇進したころは、千代の富士
が第一人者であった。だが、隆の里は千代の
富士との相星決戦を3勝1敗で制して、堂々
たる勝利で優勝した。それが横綱直前と新横
綱での優勝である、それも新横綱では15戦
全勝優勝という史上初の快挙を成し遂げた。
横綱・隆の里
<おしん横綱隆の里>
 
貴乃花は大鵬同様若い頃から将来の横綱の
逸材として注目されていた。しかし、当時は
2場所連続優勝が絶対の時代であった。その
ため、14勝優勝-11勝-14勝優勝-11勝-15
勝優勝でも横綱に昇進できなかった。翌場所
再び15戦全勝優勝してようやく横綱に昇進
した。2場所連続全勝優勝して横綱に昇進
したのは、貴乃花が初めてであった。

当時は同期の曙が先に横綱に昇進していた。
だが、優勝回数では曙を抜いていたし、今後
はさらに広がる予感があった、貴乃花は新横
綱の場所、曙と2敗相星決戦を制し、新横綱
優勝を決めた。
貴乃花
<若貴ブームをおこした貴乃花>
 
新横綱稀勢の里は、彼らに続くことができる
のだろうか。師匠は当時第一人者であった
千代の富士に勝って優勝している。ぜひ師匠
に続きたいところである。群雄割拠の今、
稀勢の里はわずか11.1%の確率に挑まなけれ
ばならない。

久しぶりに大鵬自伝に目を通しました。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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