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学生出身唯一の横綱輪島の源

現代の大相撲は、大学相撲出身が花盛りである。しかし、
横綱を狙える逸材はいるか、と聞かれると躊躇する。今
のところ、学生出身で横綱になったのは輪島ただ1人で
ある。2年連続学生横綱を取った輪島が、横綱に昇進し
たのは昭和48年五月場所後である。それから約43年、
いまだ学生出身の横綱が誕生する気配はない。輪島だ
けがなぜ横綱に昇進できたのか。そこには、他の学生
相撲出身と何が違うのか探ってみる。
輪島
<輪島>

輪島は早くからホープとして、期待されていた。蔵前の
星と呼ばれていた。特に昭和45年、幕下付け出しで連続
優勝して十両入りした。無敗で十両入りした力士は、これ
までいなかった。この当時ホープと呼ばれていた力士に
貴ノ花がいた。貴ノ花は初代若乃花の弟で「水泳では飯
が食えない」といって相撲界に飛び込んだ。また、押し
の一手の大受が楽しみな力士であった。実はこの当時、
輪島は必ずしも大成するという見方ばかりではなかった。
胸が薄く、相撲は小さかったからである。相撲に大きさを
感じさせるのは、胸をあわせ、上手からの技である。双葉
山・玉の海がこのタイプである。
出世は、入門が早かった貴ノ花が先行した。輪島が入門
したときは、すでに幕内であった。しかし、輪島は猛追
する。昭和46年には入幕を果たす。昭和47年には小結。
このとき貴ノ花は関脇だから、最接近したことになる。
大関はその年の九月場所後、両力士が同日昇進を果たし
た。このときは輪島、貴ノ花の力量は、まったく五分と
いう見方がされていた。このころ輪島は体に厚みができ
てきた。
輪 島
<輪島横綱昇進の記事>
 
大関昇進後は輪島と貴ノ花は明暗を分けた。1ケタ勝利
が多くなった貴ノ花に対して、輪島は地力をつけ、明ら
かに横綱を狙える器になってきていた。相撲ぶりは左下
手を取りにいく小さい相撲ぶりは変わらないが、そのま
まで強くなってきていた。さらに、勝ちにもっていく過程が
うまかった。勝負にそつがなかった。その中で、左前褌、
右おっつけという型を完成させた。これが輪島を横綱に
昇進させた原動力である。右からのおっつけが強烈で、
そのために左下手投げをくう。上昇北の湖が本割と優勝
決定戦でこの技をくって、優勝を逃したことがある。
輪島と同じ石川で、少年のときから相撲を取ってきた遠
藤。彼はいまだ横綱・大関とフル対戦して勝ち越してい
ない。御嶽海は一月場所10枚目で負け越した。もしかす
ると、学生出身の横綱は、輪島だけになるかもしれない。

月も下旬になり、改めていいテーマを書いていきます。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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