大相撲

初優勝の翌場所の成績3

2016年2月8日

これまでの優勝はすべて東西制によるものだが、相撲史
上の大事件が歴史をぬり変えた。昭和7年1月におきた
春秋園事件である。出羽海部屋の力士を中心に幕内力士
42人中29人が脱退、十両は22人中19人が脱退するという、
協会の屋台骨を揺るがす大事件に発展した。そのため番付
を編成し直し、1月興行を2月に変更した。このとき人数の
少なさから系統別総当り制を導入した。系統別総当たり制で
初優勝した力士が表3である。
表3A
昭和以降、唯一の名大関清水川、そして後の大横綱、双
葉山が登場する。双葉山は69連勝中であった。
双葉山!
<双葉山のブロマイド>
 
系統別総当り制は8年間続いたが、出羽海系の力士が幕
内の半数近くを占めたため、昭和15年、東西制に戻って
しまった。東西制に戻って初優勝した力士が表4である。
双葉山対照國は東西が別になる昭和18年まで待たなけれ
ばならなかった。
表4A
これまで最高成績が同じ場合、番付上位が優勝者であっ
た。戦後の混乱期、なんとか相撲人気の回復を図ろうと
協会と記者クラブが協力して考えたのが、優勝決定戦制
度である。同成績なら番外として対戦するのだから、力士、
ファンに歓迎された。昭和22年夏場所(6月)から施行され
た。また、翌場所系統別総当りに戻った。そうした制度で
優勝した力士が表5である。
表5A
千代ノ山は大関で初優勝した翌場所も優勝したが、横綱
は見送られた。3敗しての優勝と横綱格下げ論がでてい
て昇進にはいたらなかった。横綱審議会は誕生前であっ
た。照國は横綱18場所目にして初優勝すると、翌場所も
優勝した。しかし、優勝はこの2回のみであった。後の大
横綱大鵬は、優勝の翌場所10勝5敗と平凡な成績に終
わっている。初優勝で十両力士に負けた佐田の山は、翌
場所初の上位にも関らず、11勝4敗で殊勲賞を受賞して
いる。
千代
 <横綱千代の山のブロマイド>
 
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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