大相撲

大相撲論4

2015年11月4日

次に大相撲は○○であるの内容を検討してみたい。

元力士の主張
A.大相撲は曼荼羅です。
B.大相撲は「大相撲」です。
C.大相撲の真髄は武士道
D.大相撲はスポーツとは一戦を画している「格技」
E.大相撲は伝統芸能である。
F.大相撲は日本の象徴である。

元力士が上記のことを述べたとき、ある言葉が思い浮か
んだ。それは「プロレスは他に比類なきジャンル」とい
う言葉である。プロレスがどういうものであるか、述べ
るまでもあるまい。そのプロレスを理論武装するために
金科玉条のごとく用いられたのがこの言葉である。元力
士は大相撲を特別なものと位置づけ、祭り上げようとし
ているのではないか。

A.に関して元力士はさらに
世の中が織り込まれた曼荼羅です。
と言っている。曼荼羅の意味を調べてみる。

曼荼羅
《(梵)manalaの音写。本質を有するものの意》仏語。密
教で、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法とし
て、仏・菩薩(ぼさつ)などを体系的に配列して図示した
もの。胎蔵界曼荼羅・金剛界曼荼羅・四種曼荼羅などが
ある。転じて、浄土の姿を図示したものなどにもいう。
(gooの辞書より)

大相撲=曼荼羅と言われてもかけ離れたものとしか思え
ないが結論である。
 
B.に関しては大相撲を大相撲という言葉で説明しても
知らない方には意味を成さない。ねらいは大相撲を特別
なものと位置づけ、祭り上げるために言い出したのでは
ないだろうか。なお、大相撲は職業相撲または力の入っ
た見ごたえのある相撲の取組で相撲という言葉と区別し
ている。

相撲(すもう)は神事、祭り、国際的にも行われている
日本由来の武道・格闘技・スポーツ。プロ競技としては、
日本国内で大相撲という形で興行が行われている。近年
では、日本由来の武道・格闘技・スポーツとして国際的
にも行われている。( Wikipediaより)

したがって
大相撲は、日本人が先祖代々、およそ1400年もの間、受
け継いできたものです。
とはならないことを付け加えておく。大相撲と相撲を混
在している。

C.の大相撲の真髄は武士道に一言物申す。元力士は、
武士道精神を感じた一番として2001年五月場所千秋楽の
貴乃花対武蔵丸の横綱同士の一戦を取り上げている。
まず、当時の状況を再現すると以下になる。なお、この
取り組みはYouTubeで見ることができる。
URL
https://www.youtube.com/watch?v=ZRYRexcD13s

初日から13連勝できた横綱貴乃花に14日目大きな落とし
穴が待ちかまえていた。大関武双山の強烈な巻き落とし
に手痛い1敗をきっしただけでなく、右のひざ半月版を
損傷する大ケガを負った。千秋楽の2敗の横綱武蔵丸戦
を控え、とても出場できる状態ではなかった。貴乃花が
休場すれば千秋楽は武蔵丸の不戦勝でともに13勝2敗。
優勝決定戦もなく自動的に武蔵丸の優勝が決まる。

そんな千秋楽を懸念したのか、あるいは優勝への執念か
貴乃花が出場してきた。右ひざは痛々しい限り。本当に
相撲が取れるのか、取って大丈夫なのか。不安の中で迎
えた制限時間、本割りは武蔵丸の右変化からの突き落と
しにあっさり貴乃花が手をつく。両者13勝2敗となり、優
勝決定戦になった。

貴乃花は戦えるのか。不安が国技館を充満する。そんな
状況でファンが見守る中、両者が立ち上がった。貴乃花
は今度は突きたて、右四つに組みとめ上手投げをきめた。
この直後、貴乃花の表情が鬼の形相と化した。貴乃花が
この一番にかける執念が伝わる一番だった。歓声が館内
に響き渡った。しかし、このあと貴花は7場所連続全
休、2002年九月場所12勝3敗、この2場所後に引退した。

元力士はこの一番を次のように記している。
この取り組みの中には両横綱の大相撲における武士道精
神が見え隠れしています。武蔵丸は、足を引きずって仕
切りもできない貴乃花とどうやって相撲をとればいいか
と悩んだといいます。けがを攻めない勝ち方をしたいと
思い悩んだ心は武士道の「もののあわれ」につながるも
のです。
貴
<貴乃花>
 
しかし、ものの見方は多様である。負傷した力士が土俵
に上がってきた場合、負傷した個所を攻めないというの
はハンディ戦を強いられることになる、という見方もで
きる。稽古で培った力を発揮するのが本場所の土俵であ
る。それができなくなることが果たして本当にいいこと
なのか。

土俵の鬼若乃花ならむしろ弱点を攻めるだろう。かねが
ねサポーターをつけている力士を見るにつけ「あれでは
相手に弱点を知らせているようなものだ。わしなら痛い
ほうとは逆のほうにサポーターをするね」と語っていた。
また、三味線を弾くと言う言葉がある。痛くもない個所
をさも痛いようなふりをすることだ。以上の見方もある
ことを紹介しておく。

D.に関して。挌技は格闘技と同義語。スポーツでない
はすでに否定済み。
E.はすでに述べた。
F.こそ大相撲を特別なものと位置づけ、祭り上げるさ
いたるものである。これは元力士がいくら叫んでも人々
が大相撲は日本の象徴であると思わない限り成り立たな
い話である。

オリンピックで、多くの人は科学的なトレーニングによ
って限界に挑むアスリートを見てきた。極限の戦いは、
スポーツの醍醐味を知り、ときには感動をよんだ。大相
撲が単なるスポーツではないが、競技性があればこそ、
他のスポーツ同様に見る者を魅了するのである。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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